「丘を越えて」かつての桜の名所 稲田堤へ

♪丘を越えて行こうよ…」という歌手で有名な藤山一郎の『丘を越えて』。

言わずと知れた昭和の名曲ですが、この曲が神奈川県川崎市多摩区稲田堤にゆかりのある曲だと知って稲田堤に行くことにしました。

稲田堤は南武線に稲田堤駅があり、京王相模原線にも京王稲田堤駅があります。2つの駅は400メートルほど離れていて、乗り換えはめんどくさいということで有名です。 駅から数百メートル北へ行けば多摩川があり、堤という名前にふさわしいです。

この地に南武線が通ったのは、1927年(昭和2年)のことです。戦時買収前の南武鉄道の時代です。駅開設当初からこの駅の名前は変わっていません。駅の名前を地名の「菅」ではなく「稲田堤」にしたのは、当時稲田堤が桜の名所として広く知られていたことがあるようです。

稲田堤駅前、写真右手の踏切は観光道踏切いい、ここにも当時の痕跡が残っていると言えます。

稲田堤駅前の通りを北へ10分ほど。多摩川のほとりへと辿り着きます。

ここには 小田急バスの稲田堤折返場のバス停があり、そのバス停は手書きだというのは風情があります。

多摩川の堤防に立つと桜の木はほとんど見当たりません。わずかに数本の桜が植わっているくらいです。そもそも桜の名所ならマスコミにも多く取り上げられ知っているはずです。

残念ながらこの地の桜の木は切り倒された過去があるのでした。

『稲田堤の桜』角田益信 より

この地に桜が植えられたのは明治の頃です。多摩川の堤防が改修され、日清戦争の戦勝記念して明治31年 に菅村の人々が総出で吉野桜の苗木を3本か5本ずつ持ち寄り植えたそうです。当時の目的は、多摩川が増水したときに伐採し、ナギに使用することだったそうです。

北は矢野口の境、南は二ヶ領上河原堰までの約2キロに251本を植えました。後に一部が枯れたため、1917年(大正6年)にソメイヨシノなど325本を追加で植えています。
一時は関東で3本指に入るほどの桜の名所として知られたそうです。

1916年(大正5年)に、京王多摩川支線(多摩川原支線)(いまの相模原線)が調布駅から多摩川原駅(いまの京王多摩川駅)まで開通すると、京王電車によって「稲田堤」として広く宣伝されたそうです。稲田堤という名前は一説によると、このころついたとか。のちに南武線が開通し駅が開設されました。

多摩川原駅は稲田堤とは多摩川隔てて反対側の駅で、多摩川支線が多摩川を渡り延伸されたのは、多摩ニュータウン開発の頃(1971年(昭和46年))まで待つことになります。

当時、多摩川に今ほど橋はなく、渡し船がまだ多くありました。稲田堤も例外でなく、菅の渡しや、上菅の渡しがありました。
花見の観光客は京王線に乗り、船で多摩川を渡って来たようです。

いまでは渡し船があった場所には碑が立っています。今ある橋の間隔よりも小さく渡し場があったところもあって、今でも渡し船があったら便利なのになぁ…と思うことはあります。

稲田堤にあった菅の渡しは、京王相模原線が延伸し多摩川を渡った2年の1973年(昭和48年)に廃止されました。多摩川で最後まで残っていたのもここらしいです。

渡し船はたいへん賑わったそうです。

さて、「丘を越えて行こうよ真澄の空は朗らかに…」という歌詞で知られる藤山一郎さんが歌う『丘を越えて』。この歌は稲田堤にゆかりがあります。

丘を越えてのメロディーを作った古賀政男は明治大学卒業前の春、マンドリン倶楽部の学友と稲田堤に行き、花見酒を満喫した。下宿に帰り学帽を脱いだとき、顎紐についた花びらを見てメロディが次々と湧いた…。ということです。
古賀政男の青春がここ稲田堤にゆかりがありました。

その後、稲田堤の桜は道路工事などに伴って昭和30年頃に伐採されたそうです。

稲田堤から上流へ数百メートル。都県境付近の右岸には小さな桜並木がありました。ここがこの辺りでは一番桜が密集してそうです。

この辺りの多摩川の右岸にはサイクリングロードが整備されておらず、自転車乗りには酷評されている場所です。この辺りから川崎市方面に向けて下流側は多摩川沿線道路があって、川沿いということもあり信号機が少ないからか、ダンプなど交通量が多く、歩道はありません。

桜並木には「稲田堤桜の碑」が立っていました。1922年(大正11年)に建立されたそうです。

稲田堤駅から府中街道方面へ行った脇に和菓子の「はしば」という和菓子屋があります。そこには丘を越えての発祥の地を由来として、和菓子の「丘を越えて」が売られています。稲田堤にわずかに残る桜を見ながら、和菓子を食べるのも良いものです。

ちなみに、噂によると、稲田堤駅の発車メロディ(発車前に鳴らすメロディのこと)を「丘を越えて」にしようという運動があるようです。

乗り換える駅から、ちょっと足を伸ばして散策してみてはいかがだろうか。 (公開が桜の時期が過ぎた頃になってすみません)

参考資料
『稲田堤の桜』角田益信/1977/
『あゆたか44号』稲田郷土史会/2006

撮影日:2016年4月8日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

  1. ホズ より:

    いつも、身近な興味深い記事
    ありがとうございます。

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