今はなき東立川駅を探る

東立川駅(停留所) とは

古い地形図を見ていると、立川駅の東側に「東立川駅」なるものがあることがわかります。調べていると、東立川駅は第二次世界大戦まであったようです。

南武線は南武鉄道と言う私鉄が昭和4年に敷設しました。その後、昭和19年に南武鉄道は国有化され国鉄南武線となります。それと同時に、戦争が激しいことからこの東立川駅も廃止されています。

東立川駅は廃止されてから既に70年以上が経過していますが、現在はどのようになっているのか見てきました。

この地図は、「国土地理院1/50,000地形図 『青梅』昭和10年鉄道補入」と「国土地理院1/50,000地形図『青梅』平成9年修正」を国土地理院のガイドライン(300×400px以下でラスタ形式かつ地形図の一部)に基づき、引用したものである。

現在は?

東立川駅があったとされる場所のすぐ立川寄りの踏切「錦町踏切」から川崎方面に向かって撮影しました。古い地形図によると、ちょうどこの場所に駅があったというのです。

川崎方面の線路です。ホームがあったのか・・・と想像される場所です。この区間だけ線路の両脇に妙なスペースがあります。

こちらは立川方面です。ただ、ここに駅があったとされているときはまだ南武線は単線であるようなので、このスペースは駅と関係があるのかよくわかりません。

 写真には距離標があります。
 ここには川崎駅を起点として34.7キロであることがわかります。南武線の立川駅は川崎駅を起点として35.5キロですので、立川駅とは800メートルしか離れてないことになりますね。さらには、西国立駅は34.4キロなので、こっちは300メートルしか離れていないことになりそうです。

 世の中にはもっと駅の間隔が短い場所もありますが、実際に南武線に乗っていると、立川~西国立もかなり短く感じるのに、その間に駅があったなんて・・・ね。

同じ場所から立川方面。
 さっきの川崎方面と比べると、スペースが少ないことがわかります。

南武線の新型車両が通過。まだ運転開始から4ヶ月程度だというのに、すでに1/3以上が運転を始めていて、導入スピードが早く恐ろしいものです。去年のいまの時期はちょうど横浜線の新型車両が運転を始めるころだろうか。横浜線も21編成あっというまに置き換えちゃったなぁ。

もしかしたら来るかもと思ってたら、来た臨時扱いの貨物、米タンです。構図は全くですが、カーブが比較的急なので、迫力があります。

いまでも、東立川駅が残っていたら、立川には東西南北が揃っていたんですけどね。い一時期、中央線の立川~国立に東立川駅をつくるという住民運動が一部あったようですが、結局今もなく至ってますね。

錦町踏切。
 この道の狭さで対面通行なのです。抜け道としても使われてるのに。ちなみに、戦後この近くに遊郭があったらしい。いまは全くそんな感じがしない住宅街となっています。道は狭いけど。

東立川駅から北へ進むとトヨタドライビングスクールがあります。昔ここには緑川ができるまで、ため池があったらしいのですが、こちらも痕跡がわかりませんでした。

撮影日:2015年2月3日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました