246号旧道探索その1 鶴間駅~南町田

こんな感じで現在の道路の横に見える旧道が好きな人・・・たぶん友達です。

さて、今回、神奈川県大和市鶴間駅から東京都世田谷区二子玉川駅まで国道246号246「旧道」を探索しに行きました。

国道246号246は神奈川県北部を東西に横切る幹線道路です。「にーよんろく」と地元では呼ばれています。一般に販売される道路マップには「厚木大山街道」や「大山街道」などと書かれることがあります。

道の歴史は古く、8世紀ころには存在したようで、その後江戸時代には矢倉沢往還として整備され、大山へ参拝する道として栄えたようです。

江戸期の街道の探索や遺構については、多くのウェブサイトで紹介され、本も出版されているようです。
今回は、「戦時~高度成長期」頃の旧道を探索することをメインにしました。

鶴間駅→南町田

今回の記事で取り上げるのはこの区間です。並行する橙色で示したのが国道246号です。

航空写真などによれば、道路の開通時期はこのような感じです。

現在の国道246号である大和厚木バイパスは1992年に開通したようです。また、東名入口付近は1989年の開通です。

左の旧旧道を進む

鶴間駅を出て東に行くと、すぐに「ト」の字形の特徴的な交差点が現れます。今回進むのは左の道です。

右の道は上の地図でピンク色で示したもので、航空写真によれば戦時中に完成したようです。戦時中であることと、道路が現在の厚木基地に向かっていることから軍事目的だったと思っていますが、裏付けられていません。すみません。

国道246号線の最初の指定が1956年であることから、左の道が国道になったことがあるのかはわかりません。右の道大和厚木バイパスが完成後、市道に格下げされています。私が持っている1989年の地図では国道になっていて、1997年の地図では市道になっていますね。

・・・・・・ということは左の道は旧旧道ってことになりますね。
当初、移管時期など全部調べようと思って官報などあさったのですが、膨大過ぎて諦めました。

案内板

駅前には「矢倉沢往還」を伝える案内板が設置されていました。

旧旧道

このような幅の道を進んでいきます。抜け道として利用されているらしく、そこそこの交通量がありました。

ちょっと街並みが「旧道」らしさがあるような気がします。

案内の碑[地図]

途中にもまた案内の碑がありました。

矢倉沢往還については先ほどの案内と同じようなことが書いてあります。

滝山街道は鎌倉の玉縄城と八王子の滝山城を結んだ戦国時代の軍事用の街道だったそうです。

右の石塔は庚申塔でしょうか。街道を歩いているとよく見かけますが、そのあたり不勉強なのでよくわかりません。

下鶴間宿付近

しばらく行くと目黒川に向かって下り坂が続きます。

旧下鶴間宿の案内板

ここには下鶴間宿があったらしいです。1947年の航空写真でも集落が読み取れます。いまではその面影を感じることは難しくなっていました。

高札場の再現

下鶴間駐在所がある交差点角には高札場の再現がありました。

下鶴間ふるさと館[地図]

高札場の裏には下鶴間ふるさと館がありました。小学生が地域学習かなにかで来ていました。

大山阿夫利神社御分霊社[地図]

さらに進みます。

観音寺前交差点の近くには大山阿夫利神社御分霊社がありました。大山街道ゆえの施設ですね。

「戦時~高度成長期」頃の旧道を探索することをメインとしていたはずなのに、ちょっと寄り道してしまいました。

観音寺前交差点

観音寺前交差点八王子街道と交差します。この道も戦争と関係ありそうなんですが詳しくはよくわからず。

奥に見える高架が現在の国道246号です。

①現在の246号と交わる

現在の国道246号に突き当たります。

この先にも旧道が続いているのですが、高架に繋がる擁壁ができたことで現在は分断されています。

②五貫目町交差点

この付近は旧道が錯綜しています。

上の図でいうと、ピンク色の道が開通後、短絡する目的で黄色の道が開通。その後緑色の道が開通し現在のようになったそうです。

この写真の右奥が黄色の道です。手前のあたりが植栽で広い歩道になっているあたりに、「旧道感」を感じるものです。

地図で黄色の道として示した道です。

この道はこの先東名入口(旧道側)を越えて町田市辻付近まで、1989年にバイパスが完成するまで現役の国道でした。

バイパス完成後暫く国道指定のままだったようですが、市議会録などによると、1995年に市道に移管されたそうです。

④の場所

左が黄色の道、右が赤色の道です。

道というのは古くなっても残るから面白いものです。

町田市鶴間(現:鶴間四丁目および五丁目)の旧道を進む

現在の交通量には似つかわしくない横断歩道橋がありました。航空写真によると、少なくとも1971年には完成していたようです。

いまでもこの横断歩道を使う人はいるのでしょうか・・・?

案内標識

東名入口(旧道側)の手前には案内標識がありました。標識そのものは新しく交換されているようですが、ポールはおそらく当時のままで錆さびでした。

国道の標識(通称:おにぎり)は補助標識で方向が書かれています。これは……国道時代のものなのか……ちょっと怪しいです。

東名入口交差点(旧道側)

ここで国道16号と交わります。

この付近は2重の立体交差になっているのに、旧道が現役で単なる十字路だったときはどんな感じだったんでしょうか。ご存知の方教えてください。(246のバイパスができて立体化してからしか知りません…)

東名入口という名前は旧道側と現道側両方の交差点に付けられています。

左が旧道、右が現道

ここの旧道は交差点のショートカットで使う車が多いですね。

撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

  1. 反町 隆之 より:

    初めまして。昔から今も246を相当走り込んでいる1961年生まれの者です。
    246程激変して都心近くに旧道と共に変動した幹線道路は無いと思います。
    20歳までは大田区に住んでおり、原付(ノーヘルが許された時代)で多摩川沿いの道を走り
    今夜アド街で紹介している二子新地の商店街を走りその先も終始くねくねくねくね走る独特
    な246がまだ免許を取って間もない若造でもこのおかしいぞ!目的地に真っすぐ向かわずに
    何度も遠回りをしている不思議な道に感じたものです。
    東名入口の看板から紹介されている歩道橋の間には途中にビーバー登山という当時立派な
    日曜大工店がありよく利用してました。1995年位まで営業していた記憶があります。
    この店の前で当時電気工事士だった私はTOYOTAのパブリカ(カローラの元の車)で店から
    出てきたところ750のバイクと接触事故を起こしてしまった悲しい想い出の場所です。
    このビーバー登山の前は毎日の様にウンザリする程の渋滞でそれが事故にも繋がりました。
    246は特に鶴間から二子多摩川の間が総て別の道になってしますのでこの調査結果をテレビ
    局などに売り込んで調査をテーマにしたら番組一本出来ちゃう位に面白いかと思いますよ。
    二子玉から先の高速が上を塞いでいますが昔はあそこを部分的に鉄道が走っていましたが
    私はその光景を見ていません。また高速のそれぞれの桁が平成8年頃に発生した阪神淡路
    大震災をきっかけに補強工事で太くした事で片側三車線ではあっても狭くなっていますが
    改良工事前は少し広かったので今の様に右折車がいると中央車線が走りにくくなるような
    事は乗用車の右折ではありえませんでした。

    • yunomi-chawanyunomi-chawan より:

      いまとなっては都内から伊勢原のあたりまで4車線以上となっている国道246号線も、数十年前まで部分的に2車線となっていたところも多く、その変化を見られているのは羨ましいところです。
      特に溝ノ口~青葉台付近は、東急の田園都市開発も相まって周辺環境も大きく変化していて、当時の面影を残すのが旧道のみとなっているような場所も多く、その道の思い出も旧道に残されているのかなと感じました。

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