「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索しています。歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。
今回は溝口。8回に分けて掲載したこのシリーズもこれにて終了です。
この辺りは古くからの街道筋で、川崎市などが大山街道をテーマに沿道づくりをしている地区でもあります。
南側から北向きに進んでいきます。
馬絹方面から来た旧道は現在の国道246号線を横断し、梶が谷駅方面に進んでいきます。
旧道はいわゆる1.5車線の道路になります。舗装も通常のアスファルトと違って、地域づくりにとって大切な道路であることが伺えます。
しばらく進むとS字カーブになります。坂を下って多摩川の低地へ向かっていきます。
S字のカーブで坂道を下りきると、溝の口駅/武蔵溝ノ口駅の隣に到着します。この辺りは駅前ということもあって賑やかな場所で、旧道という雰囲気は少ないです。
道の脇には庚申塔が大切にされていました。
案内板には、江戸時代にこの庚申塔が作られ道標を兼ねていたことが書かれていました。
旧道は南武線と踏切で交差します。踏切の名前は「大山街道踏切」です。
現在はこの先の南武沿線道路にかけて都市計画道路事業が行われていて、将来的にはアンダーパスで南武線と交差する計画のようです。
南武線と交差した後、栄橋交差点で南武沿線道路と交差します。
現在は栄橋という橋は存在しません。
交差点の角には栄橋の親柱が残されています。この橋は旧平瀬川と二ヶ領用水の根方堀が交差する場所にあったようです。
いまや川の面影もありません。
栄橋の隣には大山街道の案内板もあります。
どちらかというと江戸期のことが書かれていて、今回の私のテーマである昭和期の旧道のことは描かれていませんが。それほど江戸期に栄えた場所だったんでしょうね。
この先の二子橋までこのような道が続きます。大山街道をテーマにまちおこしが行われています。
街道沿いには川崎市の施設である大山街道ふるさと館があります。大山街道についていろいろ知ることができるので立ち寄ってみてくださいね。
多摩川を越える二子橋に到着。かつては鉄道との併用橋でしたが、いまは道路だけの橋です。
実はこの橋は現在も国道246号線。国道246号線は別に新二子橋があるのに、いつまで国道でいるんですかね。さすがに直轄ではないみたいですが。
これにて大和市の鶴間駅から続けた旧道探索は終了です。ありがとうございました。
撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
コメント