2022年5月26日14時に交通開放された新宿区の環状第4号線(河田町)の様子を見てきました。
事業概要
環状第4号線は港区港南三丁目から江東区新砂三丁目に至る延長約29,880mの都市計画道路です。
このうち上記で赤色で示した区間で「河田町」区間として事業を行っています。施行者は東京都、事業認可は2001年8月11日です。事業延長は約330m、幅員は27~30mの4車線となる計画です。
施行者 | 東京都 |
延長 | 約330m |
幅員 | 27~30m |
事業施行期間 | 2001年8月21日~2023年3月31日 |
交通開放 | 2022年5月26日14時 |
2022年5月26日現在 |
2022年5月26日14時に交通開放されました。
この枠内の情報は随時更新されます。記事本文の情報と枠内の情報に時間的差異が生じる場合があります。
写真等
撮影位置はこの通りです。
写真左前方が開通した道路です。前方の抜弁天通りに接続していて、接続する交差点には信号機が設置されました。
抜弁天通りも若干拡幅がされ、右折レーンまたは左折レーンが設置されました。右折矢印信号機も設置されていますが、私が見に来たときには必要ないくらいの交通量でしたね(週末日中なのもあるかもしれません)。抜弁天通りは別事業で拡幅事業が行われていますが、現段階では用地取得半ばです。
抜弁天通りの転回禁止は継続していて、かつ写真のような門型車線分離標が新たに設置されました。
開通区間を正面から見た様子です。
4車線の道路として交通開放されていますが、環状第4号線の入口側は片側1車線に絞られた構造になっています。開通前の工事の当初設計図面とは多少交差点形状が変更されているようです。
道路は幅員27m(一部30m)で4車線の道路として整備されました。中央分離帯が設置され、上下線は構造的に分離されています。
写真手前側が幅員30mの区間で、将来的に交差点手前のレーンを増やせる準備はしてありますが、置きガードレールが設置されて暫定的に塞がれています。
車道はほぼ全線で遮熱性舗装となっています。灰色のがそれです。
車道部左端には、ほぼ全線で自転車専用レーンが設置されました。
歩道幅員は片側約4.5m(一部を除く)で、インターロッキングブロック舗装となっています。
歩道には植樹帯が設置され、高木にはハナミズキが、低木にはオオムラサキツツジが植えられています。まぁ、ド定番の品種ですね。
電線類を地中化するための電線共同溝が整備されています。
この場所は横断方向にやや高低差があり、道路端が擁壁になっている箇所があります。そのような場所にはイチョウの横断抑止柵ではなく車両用防護柵となっています。
道路照明もデザイン性のあるものが使われていて、LEDでした。
開通区間の中央には横断用の信号機が設置されました。終日自動で切り替わるものです。
この部分の中央分離帯は途切れていて、転回及び右折も可能になっています。開通区間では、この部分だけ中央分離帯が途切れています。
開通区間南側の余丁町通りとの交差点の手前です。
自転車専用レーンが交差点まで続いている関係で、自転車専用レーンも1車線とカウントしてしまい、交差点部が3車線という扱いになるため、原付二段階右折禁止標識が設置されています。
話は逸れますが、原付を運転するときには「二段階右折」という面倒臭いルールがあります。
二段階右折をしなくてはならない場合についての説明は省きます。
このような交差点の場合、仮に二段階右折禁止の標識が無かった場合、自転車専用レーンも1レーンとカウントされてしまい、合計で3レーンとなるため二段階右折が必要となってしまいます。
※この交差点は二段階右折禁止標識があるので二段階右折はしてはいけません。
そもそもなぜ原付の二段階右折は必要かというと、原付が右折のために右側へ移動するのが危険だからというのが1つの理由だそうですが、自転車専用レーンは原付の左側にあるのに1レーンって数える必要あるんですかね。
法改正して自転車専用レーンはカウントしないようにすべきではないかと思います。というか、原付そのものの法律を変えてもいい気がするんですけどね。
現時点での交通量はほとんどありません。
この南側で環状第4号線(富久町)の道路新設事業が行われているほか、若松河田駅付近及び夏目坂通りの拡幅事業も行われていることから、将来的には幹線道路としての性格が出てくる道路となります。
余丁町通りも中央分離帯や舗装の改良工事が行われました。
富久町方面の開通に備え右折レーンが設置できるように中央分離帯が移設されましたが、現在はAバリで塞がれています。
また、今回道路が開通することから、ファミリーマート新宿余丁町店前の横断用信号機が廃止されました。
こちらも同様の改良工事が行われました。
原付は二段階右折が必要なため、二段階右折用のポケットが新設されています。
撮影日:2022年5月28日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。(0530)
コメント
長年工事してたこの区間もいよいよ交通開放ですね。
この道路が本領を発揮するのは富久町区間が交通開放された後なのでまだまだ先になると思いますが、これからが楽しみです。
富久町区間はやっと工事が始まった段階でまだまだ開通は先ですが、用地取得が公社を入れたこともあってか、都心一等地にしては非常に速いスピードで進み、今後工事も加速していきそうです。
都営新宿線が開業する直前から2年ほど住んでいた辺りです。 今でも、時々通りますが道が狭かった上に、今思うと、計画道路の為開発がすすまなかったのですね。ほぼ半世紀たっても完成しない。長いですね。 雑誌「東京人」載っていたので知ったのですが、坂を曙橋方向下りたあたりに、明治時代に東京監獄があり、大逆事件の死刑が執行された場所(今は小公園)があります。私のいたころは、近くにフジテレビ下商店街があり、住宅地として便利な場所でした。
この辺りはバブル期の地上げなど様々なことがあったので一概にこうであるとは言えませんが、戸建て住宅が密集していた一角は都市計画公園「富久」が掛かっており、開発が制限されていた区域があります。現在その都市計画の廃止に向けた検討が行われていると聞いています。