今回は横浜市青葉区美しが丘と、川崎市宮前区犬蔵にある「行き止まり」を取り上げます。
まずはここ。たまプラーザ駅から北へ行き、美しが丘中学校脇の場所です。界隈には有名な場所かもしれませんね。
地図を見ても分かるように、ここは市境の箇所だけ約100m道が繋がっていません。
横浜市側から見たらこんな感じ。
住宅街の中を突き抜けてきた道路が林にぶち当たって止まっていました。
突き当たった正面にあるのがこの看板。
道路貫通絶対反対と書かれています。反対しているのは美しが丘中部自治会のようです。
この道路の計画ができたのは1953年のこと。川崎市側で道路計画(川崎都市計画道路3・4・11号横浜生田線)が決定します。
その後、1957年には横浜市側でも決定(横浜港都都市計画道路3・4・18号元石川線)、同時に横浜生田線も都市計画変更し、現在の計画が出来上がります。
1963年には横浜市で元石川第一土地区画整理事業が開始し、1969年に完了。1970年にはこの道路が供用されたとされます。
この当時は川崎側はまだ開発されてなく、横浜市側のみ宅地化されていた状況だったようです。
1976年には川崎北部市場と菅生緑地が都市計画決定。1979年に美しが丘中部自治会により横浜市に『「元石川線」貫通反対について』の陳情が出され、このころには既に反対がなされていることがわかります。なお、北部市場は1982年に業務を開始しています。
なお、川崎市側は2008年策定の道路整備プログラム(第1次)において整備ヵ所として位置付けますが着工されず、2016年策定の第二次道路整備プログラムにおいても整備推進路線に選定されています。
なお、美しが丘中部自治会のホームページを見ると、今でも反対されていることがわかります。
一方で、2018年10月には宮前区在住者により川崎市議会に『都市計画道路横浜生田線、水沢工区の現行道路整備プログラムのスケジュールによる供用開始を求める陳情』が出され、委員会で採択されています。同資料によると、ボックスカルバート案、掘割案など検討されているようです。
さて、もう一か所の行き止まりはこっち。
現地はこんな感じ。行き止まり・・・なんですが、正面に階段がありました。
この道路は川崎3・4・10号梶ヶ谷菅生線で、上の行き止まりと同じく、北部市場の直角カーブに繋がる計画です。
この行き止まりが発生したのも土地区画整理事業によるものであり、1999年度~2005年度にかけて犬蔵土地区画整理事業で整備されました。
尻手黒川道路が並行してあることもあって、それほど必要性はないのかなぁという印象も受けます。
この急斜面はどうするつもりだったのかなぁと気になるものではありますが。
ちなみに……写真を撮り忘れましたが、こっちの道路は航空写真を見る限り、土地区画整理事業が行われるまで行き止まりだったようです。
撮影日:2017年12月26日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
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