ここは東京都稲城市。
鶴川街道沿いに「県境」というバス停が立っています。
バス停の名前というのは利用者にとって分かりやすいことが求められ、大抵が「○○前」だとか「○○入口」、さらにその土地の名前が付けられることが多いです。
この「県境」というバス停も県境とだけあって、土地の目印となりそうですが・・・
しかし、県境には存在していません。
地図を見ていただきましょう。
地図上の赤い矢印が「県境バス停」があるところです。
最も近い県境までおよそ900メートルもあるのです。まったく県境ではありません。
バス停の名前にはその土地の地名が付けられることが多いので、もしかしたら字とかで「県境」という地名があるのではないかと調べましたが、そうではありませんでした。
このバス停に来る「小田急バス」と「神奈川中央交通」にそれぞれ名称の由来を問い合わせてみることにしました。
初めに神奈中から回答がありました。そのまま載せるわけにはいかないので要約します。
神奈中バスでは昭和33年(1958年)6月10日にバス停を設置した。当初のバス停は現在よりも神奈川県寄りの実際の県境付近にあった。その後、現在の場所に移設したが年月日や理由など詳細は不明。
名前は小田急バスが既に同じ場所にバス停を設置していたことから同一名称とした。そのため、由来に関しては理由や経緯はわからない。
(要約)
なるほど。
もともとは本当の県境に存在したことは確かなようです。
次に小田急バスから回答がありました。
小田急バスでは昭和24年(1949年)12月27日に、調布駅~柿生駅を結ぶ路線として新規設置した。当初は東京都と神奈川県の境にあったと考えられ、その地にあったことが名前の由来と推測される。
しかしながら、柿生線の運行当初は小田急バスの前身の武蔵野乗合自動車にて道路占用を取得し、その後譲渡されたと考えられ、そのため停留所に関する資料が乏しく詳しくは調べることができない。
(要約)
やはり、県境にあったことは確かみたいです。
武蔵野乗合自動車から小田急バスになったのは昭和25年9月1日のことであり、バス停設置の翌年です。
その、現在の実際の「県境」というのはこのような感じです。
京王相模原線の高架が横切り、すぐ先に若葉台駅があります。そして、なんと県境付近には「下黒川」というバス停が存在しています。
県境を横取りしているような状態です。
さらに、下黒川バス停と県境バス停の間に「於部屋」なるちょっと変わった名前のバス停も存在します。
このバス停について小田急バスは、
下黒川と於部屋バス停は昭和48年(1973年)6月13日に設置された。しかし、県境バス停移設との関連はわからない。
(要約)
とのことでした。
おそらくこのバス停の新設のときに移設したのでしょう。しかし、なぜ移設する必要があったのか…それはよくわかりません。
京王相模原線(京王よみうりランド駅~京王多摩センター駅)の開通が昭和49年(1974年)10月18日。下黒川バス停の新設はこれに合わせたものなのかもしれません。
ネットで調べてみると、県境バス停とは直接は関係ないが、鶴川駅と、下黒川バス停のさらに神奈川県側の黒川バス停を結ぶバスが、京王相模原線の開通後に下黒川バス停まで延長されてるらしいです。
その後1999年4月5日に、若葉台駅にロータリーができてその路線も下黒川バス停から脇道にそれて、若葉台駅ロータリーの若葉台駅バス停が終着となっています。
結局、時期や理由は不明なものの、県境バス停はもともと県境にあったことがわかりましたので謎が解けたとしましょう。
ちなみに、下黒川バス停と県境バス停の間にある「於部屋」というバス停は地名から来ています。
於部屋の由来は、 富永氏の御部屋様という人の居住地だったという伝説があるらしい。
一応、字以下の地名として今もあるようですが、この近辺は大字で地名を呼ぶことが多いので、滅多に見かけることはありません。
蛇足だけれど、このバス路線の日影、中の橋、宮の台、鶴巻や、戸隠も古い地名や字以下地名なので、普段の生活では滅多に見かけない地名です。
バス停を頼りに地名を調べてみるのも面白いかもしれません。
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