町田市と横浜市 都市計画道路の不整合解消のナゾ

2019年12月25日、東京都と横浜市で、とある都市計画道路の変更が行われました。

これは同日付の東京都公報に掲載された告示です。横浜市でも同日に告示が出され都市計画変更が行われました。

今回変更が行われたのは、東京都側は町田3・4・6号成瀬長津田線と、横浜市側は横浜3・3・26号川崎町田線です。一般的には、成瀬街道として親しまれている道路で、現在の道路を拡幅する計画で、両側でそれぞれ都市計画決定されています。

その両側のちょうど境界部分で都市計画変更が行われました。

都市計画変更を行った理由は
不整合を解消するため

不整合とは読んで字の如く・・・整合が取れていないということです。

横浜市資料より

この部分ではこのように両側で線形が一致しない状態となっていました。

横浜市資料より

今回、東京都側と横浜市側でそれぞれ都市計画変更を行うことにより、整合を図ろうというものです。

この都市計画変更により、横浜3・3・26号川崎町田線は延長が10m伸び、町田3・4・6号成瀬長津田線は延長が10m短くなりました。

※町田3・4・6号成瀬長津田線はついでに車線数が決定され、終点も成瀬五丁目から成瀬六丁目に変更されました。

では、なぜ不整合が生じたのか

単純に考えれば、不整合を作りたくて決定する人はいないはず。境界部分で互い違いの道路ができては困りますからね。

ということで、過去の決定図書などを見ながら探ってみました。

その前にこの部分の現況

現在この部分には成瀬街道と呼ばれる道路が通っています。拡幅は未了です。

ちょうどカーブの部分に東京都と神奈川県横浜市の境界があります。

また、境界部分は尾根が突き出た部分であり、道路はやや峠のようになっています。

これまでの主な決定・変更

この道路のこの境界部分の主な変更をまとめました。

これについて、旧都市計画法に基づき国が決定した1961年、1964年、1965年決定分については国立公文書館で調べたほか、現都市計画法に基づき東京都が決定した1972年決定分については公文書情報提供サービスにより資料を仕入れ調べました。

1961年 東京都側決定

1961年10月5日、東京都町田市で都市計画道路が決定されました。

1960年頃は各地で都市計画道路網が決定されている時期で、この決定もその1つです。この決定では、これまで決定されていた町田市内の既定都市計画街路をすべて廃止し、一から都市計画道路網を決定したものでした。

ただし、町田市全域で決定されたわけではなく、旧南地域(現:成瀬・小川・金森周辺)と旧町田地域(現:原町田・本町田・森野周辺)を中心に決定されたものでした。

このときに町田2・3・1号原町田成瀬線が都市計画決定されました。これは成瀬街道を幅員12mに拡幅するという計画の道路でした。(成瀬街道は古くから存在する道路)

その境界部分はというと・・・

まぁ・・・よくわからん・・・

1964年 横浜市側決定

1964年12月23日に横浜市側で横浜2・1・20号恩田線が決定されました。(現在の横浜3・3・42号恩田線とは別物です。)

これは現在の横浜3・3・26号川崎町田線にルートが引き継がれています。

このような線形の計画です。幅員は18mの計画です。これは現在も同様です。

その境界部分はというと・・・

東京都側も線が書かれていています。
当時、東京都側は幅員12mで決定していて、このカーブから南側に都市計画道路も存在していませんでしたので、これからの計画を点線で書いたものと考えます。

カーブの半径はR=200mと書かれているのがわかります。

ここで一つ気になるのが、東京都と神奈川県の境界線が1961年と1964年の図面で若干異なるということでしょうか。

1965年 東京都側決定

1965年4月14日に横浜・川崎都市計画街路の決定に伴い、横浜・川崎方面との交通の円滑化を図ることを理由として、都市計画道路が決定・変更されました。

「横浜(略)都市計画街路の決定」というのは、上で書いた1964年の決定のことを指すものと思われます。

この決定では成瀬地区にいくつかの新しい都市計画道路が決定・変更したほか、1961年に決定した町田2・3・1号原町田川崎線の幅員が12mから18mに変更されました。幅員の変更により、名称が町田2・1・4号原町田成瀬線に変更されています。

その境界部分はというと・・・

1964年に横浜市で決定した際の図面のように道路が決定しています。

しかし、なぜかカーブの半径はR=100m で、横浜市のR=200mと異なっています。

また、なぜか図面の東京都と神奈川県の境界線が変わっています。

今回の本題とは異なるので深追いしませんが、この図面の「2・2・25」というのは現在の「町田3・4・27号小川成瀬線」のことで、現在でも横浜市側は決定されず町田市側だけ盲腸のように存在する都市計画道路となっています。廃止の話が進んでいるので、話が具体化したときにまた記事として取り上げます。

1972年 東京都側決定

1972年11月17日、健全な市街地の造成及び交通の円滑を図ることを目的として、成瀬地区で都市計画道路の変更が行われました。

これまで、町田駅方面かなほぼ成瀬街道に沿って計画されていた都市計画道路が、現在の成瀬コミュニティセンター前交差点からそのまま東へ進むルートに変更されました。

現在の都市計画道路網

ちょっとわかりにくいので現在の図面で見るとこのような感じで、新しく成瀬駅北側を東西に通り、横浜市に至る町田2・1・4号成瀬長津田線が決定されました。

この町田2・1・4号成瀬長津田線というのは、1989年に名称が現在の町田3・4・6号成瀬長津田線に変更された以外に以降変更されていません。

その境界部分はというと・・・

カーブの半径はR=200mと記載されており、この図面だけを見る限りでは1964年横浜市側決定と整合が取れたようにも見えます。

再び載せておくと、こう。

なぜ不整合が生じたのか

はっきり言おう
わからん。

この程度の精度の図面だと全然わかりません。

それに、図面の都県境がちょこちょこ変わっているのもナゾです。

この2つの図面は東京都横浜市がインターネットで公開している図面(参考図)です。
これでは、不整合が生じているかについてもよくわかりません。

※参考図のため地図作成上の誤差を含んでおり、境域を明示するものではないとともに、都市計画法、建築基準法等に関する法定図面ではありません。

ということで、東京都と横浜市に「なぜ不整合が生じたのか」問い合わせました。

東京都回答(要約)

東京都としても国立公文書館で調査をし、不整合が生じていることを確認したが、その理由については記録が残っていないため不明

横浜市回答(要約)

都市計画変更にあたり資料の調査を行ったが、当時の協議資料なども残っていないため、線形の不整合が生じた明確な原因や時期は不明

両側とも「不明」との回答でした。都市計画証明等で異なる線形となっていたのは確かなのでしょう。

もやもやが残りますが、個人的に「これだから役所は!」などと言うつもりは全くないですし、半世紀も前の計画だとこういうこともあるだろうなぁ・・・という感じではあります。

ただ、都市計画道路がある(せい?)で、こっちでは高い建物が立てられるのに、そっちでは3階建て以下の簡易な建物しか建てられないなど、言ってみれば権利を制限する状態となるのに、こんなんでいいのかなぁ……とは思わなくもない。です。はい。

以上。

撮影日:2019年11月29日、12月31日ほか 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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