このブログでも何度か紹介をしている稲城市の「稲城上平尾土地区画整理事業」と「稲城小田良土地区画整理事業」。これらは稲城市の南部、京王相模原線若葉台駅の東側、小田急多摩線栗平駅の北側で行われている大規模な区画整理事業です。
この事業は完了しています。
稲城上平尾土地区画整理事業は稲城市で行われていた土地区画整理事業です。
土地区画整理組合による施行で、2010年に事業認可を得て事業が進められ、2019年3月1日に換地処分を行いました。2022年3月3日には組合解散が認可され、事業が終了しました。
都市計画施設としては、多摩3・4・17号坂浜平尾線などが整備されました。
事業名 | 稲城上平尾土地区画整理事業 |
施行者 | 稲城上平尾土地区画整理組合 |
準備会結成 | 2005年11月30日 |
組合設立認可 | 2010年7月29日 |
換地処分公告 | 2019年3月1日 |
組合解散認可 | 2022年3月3日 |
事業認可期間 | 2010年7月29日~2022年3月31日 |
施行面積 | 約25.1ha |
施行地区 | 稲城市大字平尾字六号、字十号、字十一号、字十二号及び字十三号並びに同市大字坂浜字十七号及び字十八号の各一部 |
合算減歩率 | 48.84% |
2022年3月3日現在 |
この事業は完了しています。
稲城小田良土地区画整理事業は稲城市で行われている土地区画整理事業です。
土地区画整理組合による施行で、都市計画施設として多摩3・3・36号小田良上平尾線などが整備される予定です。
事業名 | 稲城小田良土地区画整理事業 |
施行者 | 稲城小田良土地区画整理組合 |
準備会結成 | 2006年3月27日 |
組合設立認可 | 2012年12月25日 |
換地処分公告 | 2023年3月3日 |
組合解散認可 | 2024年9月6日 |
事業期間 | 2012年12月25日~2025年3月31日 |
施行面積 | 約29.5ha |
施行地区 | 稲城市大字坂浜字十三号、字十四号、字十五号、字十六号、字十七号及び字十八号並びに同市大字平尾字十号の各一部 |
合算減歩率 | 54.10% |
2022年9月2日現在 |
稲城上平尾土地区画整理事業の区画整理組合設立認可は2010年7月29日。稲城小田良土地区画整理事業は2012年12月25日です。
ただ、よく調べていると、これらの認可の前に、これらの地区に加え北側も含めて東京都が施行で坂浜平尾土地区画整理事業なるものを計画していたことがわかりました。
ただ、その東京都施行の範囲の内部で、現在地元の地主による組合が区画整理をしているということは、東京都の計画はどうなったのか。と、ふと疑問になったのです。
インターネットが盛んになった以降の計画はほとんどがインターネット上にその情報があるので調べやすいのですが、坂浜平尾土地区画整理事業はそれ以前のものらしく、ほとんどインターネット上に情報がありませんでした。
そのことから、東京都に情報公開請求で情報開示を求めてみることにしました。
稲城上平尾土地区画整理事業
坂浜平尾土地区画整理事業の位置
これは稲城市のHPに掲載されている『坂浜平尾まちづくりイメージ図』です。
これは2006年に策定されたもので、このとき既に東京都施行の坂浜平尾土地区画整理事業については事業を行わない方針となっていました。ただ、ほぼこの範囲で事業が行う予定でした。
この図は策定当時に想定したまちづくり手法と対象区域を示したもので 、現在の計画と必ずしも合致するものではありません。
坂浜平尾土地区画整理事業の経緯
多摩ニュータウンと坂浜平尾
昭和30年代~40年代にかけて、稲城市・多摩市・八王子市・町田市に跨る範囲で多摩ニュータウン事業が計画されました。ご存知の方も多いと思いますが、日本でも最大級のニュータウン事業です。
多摩ニュータウン事業は、当初は新住宅市街地開発法に基づく新住宅市街地開発事業によって施行する計画でした。これは全面買収方式の事業です。しかし、もともとこの土地に住んでいた人から難色が示され、そうした区域では土地区画整理事業という手法を用いて施行することとなりました。多摩ニュータウンでは8区域が該当します。
すなわち、多摩ニュータウン事業は新住宅市街地開発事業と土地区画整理事業の2本立てで事業が行われました。
坂浜平尾地区も多摩ニュータウン事業の区域に入っていましたが、これらの事業は行われず残されることとなりました。(いわゆる白抜き地区)
市街化の波とバブル経済
多摩ニュータウンでは続々と入居が始まっていました。
京王相模原線や小田急多摩線も開通、新百合ヶ丘駅付近の開発も進むなど、近隣では市街化が進み、 東京都心まで電車で40分程度という坂浜平尾地区にも開発の波が押し寄せていました。
しかし、当時、坂浜平尾地区は市街化調整区域に指定されていました。これは都市計画区域における区域区分の1つで、市街化を抑制すべき区域です。
土地の所有者からすると、市街化調整区域に指定されているため開発ができない、土地の価格も上がらない、そしてバブル経済の波も押し寄せていました。
そうしたことから、東京都は長期計画の中で、土地区画整理事業により計画的なまちづくりをおこなうことを決めました。
坂浜平尾土地区画整理事業の都市計画決定
1997年8月1日、東京都は坂浜平尾土地区画整理事業を都市計画決定しました。
東京都の施行で、総事業費1,100億円、事業費211.9ha、計画人口1万4千人、減歩率45~47%の大事業でした。
同時に坂浜平尾地区は市街化調整区域から市街化区域に変更、都市計画公園、都市計画緑地、都市計画道路の変更などが行われました。また、当時東京都は公的住宅を建設する用地を求めていたこともあり、土地区画整理事業に先立ち用地の先行買収も行い、14.6haほどを確保していました。
坂浜平尾土地区画整理事業の頓挫
坂浜平尾土地区画整理事業は長くは続きませんでした。
1999年に策定された東京都の財政再建推進プランにおいて、東京都は新しい公的住宅建設は一切行わないという政策転換と、経済の低迷により事業採算が取れないという理由から坂浜平尾土地区画整理事業の凍結が決定しました。
事業凍結後、坂浜平尾地区のまちづくりは進展しませんでした。土地区画整理事業の都市計画がかかったままなので下水道が整備できず、河川等の整備も進みませんでした。狭い道も多く建築基準法上家を建てられない場所もあるなど、様々な制約が生じることとなっていました。
再出発
坂浜平尾土地区画整理事業の実施が困難になったため、地元・稲城市・東京都の3者で坂浜平尾まちづくり検討委員会を作り、まちづくりを見直すこととなりました。その結果、
- 地区計画によるまちづくり区域
- 現在の環境を維持する区域
- 組合施行などによる面的整備推進区域
の3つの区分でまちづくりをしていくこととなりました。
2007年8月4日には、地区計画によるまちづくり区域となっていた坂浜西地区は、坂浜平尾土地区画整理事業の都市計画から削除されました。そして、同年10月に坂浜西地区地区計画が決定し、計画的なまちづくりが進められています。
組合施行などによる面的整備推進区域となっていた上平尾・小田良の両地区では、組合施行で土地区画整理事業が行なわれることとなりました。
両地区の土地区画整理組合設立認可に合わせ、2009年11月20日には都市計画道路を変更、2011年12月19日には都市計画公園等の変更が行われました。
上平尾地区では2005年11月30日に土地区画整理準備会が結成、2010年7月29日に土地区画整理組合の設立が認可されました。
小田良地区では2006年3月27日に土地区画整理準備会が結成され、2012年12月25日に組合の設立が認可されました。
坂浜新駅構想
風の噂に聞く「坂浜新駅構想」。しかし、その構想は実はなぞ。東京都の担当者に直接質問しました。
坂浜新駅構想の経緯
京王相模原線の稲城駅~若葉台駅は3.3kmの距離があり、複々線(扱い)になっている笹塚~新宿駅を除けば京王で最長の距離で、相模原線建設当初から計画が存在しました。そのため、建設当初から付近は線路の勾配をなだらかにしているらしいです。(駅を設置するのに勾配の基準がある)
東京都の当初の計画でも、上の図からもわかるように駅前広場を設置して、駅を開設する計画でした。
このとき、東京都と京王とのやり取りは以下のようになっていました。
1994年6月29日。当時の東京都多摩都市整備本部は京王電鉄に区画整理の計画説明と、駅設置の検討協力を依頼しました。
(略)
さて、東京都では多摩ニュータウン並びに周辺地区整備計画の一環として稲城市坂浜平尾地区の面積約212ヘクタールの区域につきて、土地区画整理事業による新市街地の整備を行うことを計画しております。
この、坂浜平尾地区の市街地整備計画につきましては、東京都第3期長期計画により施工方針を決定し、(略)、事業化へ向けて権利者の機運が高まっています。このためには、当地区を通過している京王相模原線に新駅を開設して、まにづくりの核として事業を施工する必要があります。
つきましては、新駅の設置に係わる諸問題について、ご検討、ご協力をお願いいたします。
1994年10月4日、京王からは
(略)坂浜・平尾地区の新駅は、同地区の発展に大きく寄与し、ひいては地権者の利益を大きく増進するものであると考えます。しかしながら、当該区画整理事業による市街地熟成に長期間を要するため、当社にとりましては、請願駅の建設費を(都が)全額負担いたはだきましても、なお駅運営等にかかる費用が大きな負担となります。このような状況のもとにおいて、新駅については、建設費はもとより運営に係る費用を新駅か開設によって便益を受ける区画整理事業全体でご負担担いただかなければ、新駅設置は困難であると考えます。
1994年10月5日。都と京王は次のような確認を交わしました。
(略)
1.駅等の運営で発生する乙(京王)の超過負担については、新駅設置によって、受益を受ける区画整理事業地内で負担すべきであるという乙(京王)の主張を理解し、区画整理事業区域内において乙(京王)が所有する土地の換地により補填する。(鉄道外用地 7200平米、鉄道敷用地(法面)12000平米)
2.甲(東京都)は乙(京王)が所有する鉄道外用地および鉄道敷用地(法面)について、住宅地に一括換地する。
3.この他は協議して決める(略)。
こうして、当時は計画が進んでいきました。
今もそうですが、鉄道会社は自費で新たに駅を作りたがりません。多摩ニュータウンへの延伸時は、自社の不動産屋が分譲できるわけでもなく(公団がやっていた)、延伸さえ渋っていたのは有名です。
また、都と担当者の話によると、坂浜の新駅については、当時の京王電鉄は「新駅は若葉台駅と稲城駅の利用客が移るだけ」との考えもあったそうです。
そして、東京都は区画整理を実行できないまま月日が過ぎました。
2009年9月9日。東京都は京王電鉄に計画の取り下げを申し入れます。これにて、東京都の新駅の構想はなくなりました。
現在の新駅構想
現在の計画では新駅構想はどうなっているのか質問しました。
答えは、「東京都の計画にはない。京王電鉄の計画にもない。民間の区画整理組合の計画にもない。」そうです。これは駅設置の10~30億円を負担できないらしい。
しかし、「稲城市の計画にはある」とのことです。
確かに、稲城市の都市計画マスタープランを見ると駅の構想が書かれています。
ただ、最近の稲城市議会などを見る限り、新駅設置の機運は高まっておらず、実現性はかなり遠いのだろうと想像しています。
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