柿生駅北口バス停から市が尾駅・桐蔭学園方面のバスに乗って1つ目に「新中野橋バス停」というバス停があります。世田谷町田線から麻生通りに入って、小田急線を越える陸橋を渡り、少しした場所にそれはあります。
ただ、1つ疑問点が・・・
新中野橋が存在しないのです。
今回はこれの理由を探ってみたという記事です。
現地の状況
仲村橋
「新中野橋バス停」がある麻生通りと麻生川が交わる場所には、仲村橋という橋が架かっています。
一見車道と歩道が別の橋に見えますが、同じ橋のようです。
読み方は「なかむら」で、「なか」は人べんのある「仲」表記です。
この橋がバス停から最も近い橋です。
バス停と仲村橋の間には、「仲村橋」という交差点もあります。
仲野橋
仲村橋の80mほど下流には、「仲野橋」という橋があります。
読み方は「なかの」で、こちらも人べんのある「仲」が使われています。
この付近、いくら探しても「新中野橋」は見つからず、バス停にしかつけられていません。
どういうわけなのか、その理由は意外と単純でした。
新中野橋はなんなのか
先に答えを書いておきましょう。
答え
昔は「新中野橋」という橋が昔は存在した。
1979年と1985年に経済地図社という会社が出版した住宅地図を見てみましょう。個人名は加工でぼかしています。
1979年の住宅地図を見ると、「中野橋」「新中野橋」がそれぞれ存在し、「新中野橋バス停」もしっかりと書かれています。それが1985年の住宅地図を見ると、「仲野橋」「仲村橋」と名前が変わりました。見切れていますが、バス停は「新中野橋バス停」で変わっていません。
1979年以前および1985年以降の住宅地図を確認しても、やはりこの期間に名前が変わっています。
お気づきの人も多いと思いますが、この2つの地図では、川の流れる位置が変わっています。すなわち、河川改修が行われ橋が架け変わっているのです。
地図・空中写真閲覧サービスの1979年の航空写真を見てみると、現在の仲村橋の前後まで河川改修が進み、現在の仲野橋はすでに架け替えられています。
実際に、全国道路施設点検データベースによると、現在架かっている仲野橋は1979年に、仲村橋は1983年に架けられたようですから、この時名前が変わったとみて間違いないと思われます。
なぜ名前が変わったのか
これがわからないのです。
仲村
現在橋の名前「仲村」の由来は、この付近の字であることがわかりました。
現在、この付近は「上麻生〇丁目」という地名がつけられていて、あわせて住居表示も実施されています。〇丁目とつけられる前は「上麻生」の後ろに「仲村」という字がありました。
橋の名前のほかに「上麻生仲村公園」や「上麻生仲村東特別緑地保全地区」というように、一部にその地名が使われています。
1906年発行の地形図「原町田」を見ても、「仲村」の地名の存在が確認できます。
川崎市図書館にあった『川崎地名辞典 基礎原稿 麻生区-2』(平成8年度 川崎市)には、「現有資料では『昭和5年岡上組合村地番反別入地図』に初出」とありますが、上記の通り明治時代の地形図ですでに地名として確認できます。
『昭和5年岡上組合村地番反別入地図』も確認してみたところ、たしかに「字仲村」の文字が見られます。
中野・仲野
これが私が探す限り、どこにもこの地名が出てこないのです。
この橋があるのは、上麻生(旧上麻生村)のちょうど真ん中あたり、真ん中の橋ということで「中の橋」とつけて、それがいつしか中野、仲野と変わっていったんじゃないかな~と、根拠ゼロの予想を立てていますが、結論は出ませんでした。
「なかの橋」と読む橋は各地に存在し、その出現頻度はかなり高いです。かつて稲城市の「中の橋バス停」の由来を調べたこともありましたが、結局わからなかったってこともありました。
新中野橋
新中野橋は、名前の通り「中野橋」に対して新しいことから名づけられたものと思われます。
現在の仲野橋がある通りは、道としてはかなり古く、上記の1906年測量地形図にもそのルートで道が書かれています。
かつては神奈川宿から日野までを結ぶ街道で、日野往還など(場所によって呼び方は異なる)と呼ばれ、大正時代に入ると県道神奈川日野線として指定されています。
1927年に小田急線が開通して以降も、道路の道筋は古いままでしたが、1950年代後半~1960年代前半にかけて、この付近の世田谷町田線などが現在のルートで整備され、この通りも小田急線を立体交差する柿生陸橋ルートがバイパスとして整備され、1964年ごろに開通しているものと思われます。
中野橋の初出は相当古いと思われますが、そのバイパス道路の橋だから「新」を付けたというので間違いないと思われます。
なお、日野往還は、下水処理場建設で途中ルートが分断され切り廻されています。
橋の架け替えでなぜ名前を変えた
これも大きな謎です。新旧の橋が併存するのであれば名前を変えるのが好ましいと思いますが、古い橋を撤去するのであれば、管理上は特段名前を変更する必要がなさそうですし、変えていない橋はたくさんあります。
麻生川の近隣の橋は「亀井橋」「白根橋」「大谷戸橋」と、いずれも字名を由来としていて、地名を採用するように地元要望か何かがあったのでしょうか。資料が見つからない限り、想像の域を越えません。
参考資料
・『麻生区明細地図 1982年』経済地図社
・『麻生区明細地図 1985年』経済地図社
・『麻生区明細地図 1987年』経済地図社
・『柿生・岡上組合村誕生100年記念誌 屋号と家紋』 柿生・岡上組合村誕生100年祭実行委員
・『柿生村・岡上村郷土誌』
・『神奈川県都筑郡 柿生岡上組合村地番反別入地図』
・『神奈川県水防計画 昭和52年度』
・『川崎地名辞典 下』日本地名研究所
・『川崎地名辞典 基礎原稿 麻生区-2』 川崎市
・『新編武蔵風土記稿巻之八十六 都筑郡之六』
・『多摩区西明細地図 1980年』経済地図社
・『二万分の一地形図 原町田 1906年測量』
・『北部明細地図 1969年』経済地図社
ほか
コメント