鉄道唱歌の旅、続きです。
前回
明治時代に作られた「鉄道唱歌」で歌われている場所に行ってみるという旅です。
前回東京から米原まで来て一旦東京に帰りました。今回は米原に戻ってきて続きを旅しました。
38番 彦根に立てる井伊の城・・・
彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥が餅 かはる名所も名物も 旅の徒然のうさはらし
こんな感じで、いろいろな名物が今もなお多くあるのが東海道ですね。
39番 いよいよ近く馴れくるは・・・
いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ
米原からずっと琵琶湖沿いに進んできた東海道本線ですが、現在は、石山駅付近まで車窓から琵琶湖が見えるところはなく、石山駅手前のここが唯一見える場所になっています。昔は干拓が進んでいなかったこともあり、琵琶湖が東海道本線に近い場所もあったようですね。
この歌詞の後半にある「その八景」とは「近江八景」のことを言っていると思われます。近江八景とは以下の8つのことです。
- 石山秋月
- 勢多夕照
- 粟津晴嵐
- 矢橋帰帆
- 三井晩鐘
- 唐崎夜雨
- 堅田落雁
- 比良暮雪
この後の歌詞では、この八景をすべて歌っています。正直、東海道線から遠いものもあるのですが。
40番 瀬田の長橋横に見て・・・
瀬田の長橋横に見て ゆけば石山観世音 紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に
41番 粟津の松にこととへば・・・
粟津の松にこととへば 答へがほなる風の声 朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ
石山駅から北へ約500mのところに粟津と呼ばれる地域があります。かつては松並木があったそうですが、今はその面影はありません。これも近江八景の1つ(粟津晴嵐)です。
この写真の交差点の名前が「晴嵐」という名前ですごいなーって思いました。
歌詞の後半の「朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ」は、源義仲が自害のため粟津の松原に踏み入れた際、馬が深田にはまり討ち死にした……ということを言っています。
42番 比良の高嶺は雪ならで・・・
比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走にいそぐ舟の帆も みえてにぎわう波の上
東海道は琵琶湖の南側を通るルートとなっていて、大きく迂回していました。そのため、琵琶湖を渡り直線的にショートカットするルートもありました。それが矢橋舟で、近江八景の1つです(矢橋帰帆)。
「急がば回れ」の語源となったのもこの船だそうです。
自動車も普及した今、船はほとんど見えませんでしたね。
43番 堅田におつる雁がねの・・・
堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘 夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん
「堅田におつる雁がねの」・・・近江八景の1つ「堅田落雁」を言っているはずですが、遠いので割愛。
このお寺、「○○の撮影に使われました」という張り紙が至る所にありました。
「夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん」・・・近江八景の1つ「唐崎夜雨」を言っているはずですが、これも遠いので割愛。
44番 むかしながらの山ざくら・・・
むかしながらの山ざくら におうところや志賀の里 都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに
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