鉄道唱歌の旅、続きです。
前回
6番 横須賀ゆきは乗替と・・・
横須賀ゆきは乗替と 呼ばれて降るる大船の つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん
保土ヶ谷駅、戸塚駅は当時から開業していたはずですが、特に触れられることもなく大船駅へ到着。ご存じの通り、横須賀・久里浜方面へ至る横須賀線が分岐します。
当時は久里浜駅まで延伸されていなかったほか、SM分離(東海道線・横須賀線の線路の分離)も行われておらず、横須賀線という名前も付いてなかったようです。
この後の鉄道唱歌6番~10番では、横須賀線沿線を歌っているのですが、これは省略します。
11番 支線をあとに立ちかへり・・・
支線をあとに立ちかへり わたる相模の馬入川 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし
当時から開業していた藤沢駅、茅ケ崎駅は特に歌われず、相模川を渡ります。
相模川は、東海道線が横断する下流付近では「馬入川」と呼ばれることもあるそうです。この東海道本線の橋の名前も「馬入川橋梁」となっています。
大磯と言えば海水浴場。当時から海水浴場として開設されていたそうで、鉄道唱歌にも歌われています。
12番 国府津おるれば馬車ありて・・・
国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とほからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より
当時は、熱海~三島を繋ぐ丹那トンネルが未完成で、現在の御殿場線が東海道本線のルートでした。丹那トンネルが完成するのは1934年のことです。このことから、鉄道唱歌でも、この先沼津駅までの間は御殿場線の沿線を歌っています。
歌詞中の「馬車ありて」というのは、国府津駅~小田原~箱根湯本付近を結んでいた馬車鉄道のことです。
鉄道唱歌が発表された同年に馬車から電車(路面電車)に動力が変更されていて、のちの鉄道唱歌では「電車あり」と改められています。
東海道本線の国府津~小田原間開業等の影響もあり、路面電車は1920年に廃止されていて、当時の面影はありませんが、遠くに見える箱根の山は変わっていないのかもしれません。
13番 いでてはくぐるトンネルの・・・
いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山駅 今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ
当時から開業していた松田駅、それから山北駅を過ぎるとトンネルをくぐっていきます。
この区間は勾配がきつく、補機を連結して運行していたそう。当時の東海道本線のなかでも、最も山が険しい区間だったかもしれません。
14番 はるかにみえし富士の嶺は・・・
はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり 雪の冠雲の帯 いつもけだかき姿にて
15番 ここぞ御殿場夏ならば・・・
ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺 十三州もただ一目
次の電車までの間、駅周辺をぶらぶらしていたら、急に晴れて雲がなくなり、富士山が姿を現しました。
この後すぐに曇ってしまい、途中で雨も降ったりして、この先の道中では富士山を見ることはできませんでした。
撮影日:2021年10月10日、16日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
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