[鉄道唱歌の旅] 6番大船~15番御殿場 

鉄道唱歌の旅、続きです。

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6番 横須賀ゆきは乗替と・・・

横須賀ゆきは乗替と 呼ばれて降るる大船の つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん

大船駅

保土ヶ谷駅、戸塚駅は当時から開業していたはずですが、特に触れられることもなく大船駅へ到着。ご存じの通り、横須賀・久里浜方面へ至る横須賀線が分岐します。

当時は久里浜駅まで延伸されていなかったほか、SM分離(東海道線・横須賀線の線路の分離)も行われておらず、横須賀線という名前も付いてなかったようです。

この後の鉄道唱歌6番~10番では、横須賀線沿線を歌っているのですが、これは省略します。

11番 支線をあとに立ちかへり・・・

支線をあとに立ちかへり わたる相模の馬入川 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし

相模川

当時から開業していた藤沢駅、茅ケ崎駅は特に歌われず、相模川を渡ります。

相模川は、東海道線が横断する下流付近では「馬入川」と呼ばれることもあるそうです。この東海道本線の橋の名前も「馬入川橋梁」となっています。

大磯駅

当時からあった平塚駅も通過し、大磯駅に到着です。

大磯の海岸

大磯と言えば海水浴場。当時から海水浴場として開設されていたそうで、鉄道唱歌にも歌われています。

12番 国府津おるれば馬車ありて・・・

国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とほからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より

国府津駅

御殿場線が分岐する国府津駅です。

途中の二宮駅は1902年の開業ですから、鉄道唱歌が発売されたときにはギリギリ存在していなかったようです。

当時は、熱海~三島を繋ぐ丹那トンネルが未完成で、現在の御殿場線が東海道本線のルートでした。丹那トンネルが完成するのは1934年のことです。このことから、鉄道唱歌でも、この先沼津駅までの間は御殿場線の沿線を歌っています。

駅構内に掲示されていた資料より

歌詞中の「馬車ありて」というのは、国府津駅~小田原~箱根湯本付近を結んでいた馬車鉄道のことです。

鉄道唱歌が発表された同年に馬車から電車(路面電車)に動力が変更されていて、のちの鉄道唱歌では「電車あり」と改められています。

国府津駅前から箱根方面

東海道本線の国府津~小田原間開業等の影響もあり、路面電車は1920年に廃止されていて、当時の面影はありませんが、遠くに見える箱根の山は変わっていないのかもしれません。

13番 いでてはくぐるトンネルの・・・

いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山駅 今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ

山北駅停車中

当時から開業していた松田駅、それから山北駅を過ぎるとトンネルをくぐっていきます。

山北駅~谷峨駅間のトンネル

この区間は勾配がきつく、補機を連結して運行していたそう。当時の東海道本線のなかでも、最も山が険しい区間だったかもしれません。

駿河小山駅停車中

1947年に開業した谷峨駅を通りすぎ、駿河小山駅に到着です。1900年当時は単に小山駅でした。

下ゆく水のおもしろさ

山の険しい場所を通過することもあり、酒匂川鮎沢川を何度も渡っていきます。

14番 はるかにみえし富士の嶺は・・・

はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり 雪の冠雲の帯 いつもけだかき姿にて

富士山があると思われる方向は曇っていた

見えませんでした。

15番 ここぞ御殿場夏ならば・・・

ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺 十三州もただ一目

御殿場駅

御殿場駅に到着。

時期が過ぎているので登山の格好をした人は見当たりませんでした。

富士山が見えた

次の電車までの間、駅周辺をぶらぶらしていたら、急に晴れて雲がなくなり、富士山が姿を現しました。

この後すぐに曇ってしまい、途中で雨も降ったりして、この先の道中では富士山を見ることはできませんでした。

撮影日:2021年10月10日、16日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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