スイッチバック旅(4) 25‰勾配の上にある韮崎駅

かつてスイッチバック式だった駅に降りていく今回の旅。

勝沼ぶどう郷駅から中央本線の普通列車に乗り、韮崎駅で下車しました。

韮崎駅もかつてスイッチバック式の駅でした。1970年に複線化に伴いスイッチバックは解消しています。

降りた瞬間に感じるホームの傾斜。これは期待できます。

電車が行ったあとに線路を見ると、25パーミル(‰)の勾配標が立っていました。1000m進んで25m上る勾配を表しています。

25‰=2.5%のこと。道路だと大した勾配ではないように感じますが、鉄道ではこれは急な勾配です。首都圏で言うと、中央線の三鷹~武蔵境駅間の高架線に上る勾配が24‰のようですので、そんな勾配のところにホームがあります。

昔の鉄道ではこのような勾配にホームを作ることができなかったので、平らな場所にホームを作り、スイッチバック式としていました。

ホームから東京方面を見ています。

かつてはこの右側に引き上げ線があったそうです。航空写真を見るとちょっとした茂みが見て取れますが、それがそうだったのかはよくわかりません。

ちなみに現在、こちら側には中線があり貨物列車などが使っているようです。

小淵沢方面を見ています。

線路の右側(北側)に保線用の線路が少しだけ伸びています。かつてはこの保線用の線路がもう少し先まで伸びていて、ホームが存在したようです。

現在のホームの小淵沢寄りです。

ホームからは駅前広場公共施設が見えますが、かつてはこのスペースにホームがありました。ホームの端から端を移動しただけでこの高低差ができるのですから、かなり急勾配であることがわかると思います。

ちなみに、上り線のホームの長さは332mで八王子支社管内で最長です。

さて、駅を出てみようと思ったら、駅構内にこんな掲示物がありました。韮崎駅115周年だそうです。(でも2019年では116周年)

この右下の写真には昔の駅が写っています。蒸気機関車が走っているあたりが現在のホームでしょうか。

駅を出ました。直営駅のようです。

駅前には駅前広場があります。何度も言うように、ここはかつてのホームがあった場所です。

駅のすぐ近くには大規模な商業施設もあって、甲府~上諏訪の間の駅ではもっとも駅前がにぎやかに見えます。

駅前広場の先にあるのは「二コリ」という公共施設です。

建物の外観も、内装も綺麗で最近できた建物なのかなぁ・・・と思ったら、1984年~2004年にイトーヨーカドーとして、2004年~2007年にオギノとして営業した商業施設の居抜きのようです。

古い航空写真を見ると、線路はもう少し先まで伸びていたようです。ちょっと怪しいカーブを描いた小道が奥に伸びていました。

さて、韮崎駅はこれくらいにして、次の電車で次のスイッチバック駅を目指します。

撮影日:2019年9月15日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

  1. 寺村敏-本名文筆家です より:

    「韮崎駅スイッチバック」で検索してこの文にたどり着きました。昭和20年代に小学生低学年のころ松本-新宿の一人旅を年に何回かしました。現代だったら家出少年かな…と不審な目で見られ保護されても不思議ではないのでしょうがそんな目で見られた記憶はありません
    韮崎駅のスイッチバック体験が最大の楽しみでした。
    そのシステム歴史をこの紀行文で知りました。詳しい解説に感謝します。で…少しだけ補足してみました→当時は松本-甲府間は蒸気機関車が走り甲府-新宿間は電化されていました。所要時間は7時間でした。20年代後半に準急が登場して4時間半になりました。画期的な短縮です。
    ここからが貴重な体験です→夏は客車の窓を開放します。エアコンなどない時代でした。いくつものトンネルを抜けます。その度に窓を閉めるのは窓側の乗客の役目です。
    開けたままでいるとススが舞い込んで来ました。
    今の所要時間は「あずさ」で2時間40分前後で各駅停車は4時間20分ぐらい…全線電化になってものんびり旅です
    そのころアイスクリームが大衆化して窓から顔を出して買いました。小さな木箱入り+木製のスプーン付きで20円でした。
    数年前に念願の中央西線に乗りました。木曽谷はまた別の趣でありました
    長くなるのでここまでにします。読んでいただいて感謝します。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      小学生で松本~新宿とは大旅行ですね。私も小学生高学年の頃に子供だけで東京から富山県まで電車を乗り継いで行ったのを何故か鮮明に覚えています。最近の旅はどこかに書き留めておかないとすぐ忘れちゃうんですが。
      蒸気機関車のトンネルの話は、朝ドラとか、そういうので聴いたことはありましたが、生まれたときには既に蒸気機関車が廃止されて久しかった私としてはあまり想像できません。というか、無冷房車すらも想像しがたいです。
      中央線の断面の小さなトンネルと、壁面が黒っぽくなったのを見て、ここにも蒸気機関車が走っていたんだなと思いをはせるくらいしかありません。

      アイスクリームの売り子はよくいたものなのでしょうか。現代となっては駅弁の立ち売りもなくなり、車内販売すらなくなり、ましてやキオスクもなくなったりする世の中で、鉄道の風情もどんどん変わっていくのかもしれないですね。

タイトルとURLをコピーしました