京王線 新宿から笹塚まで散策(1)

京王線新宿駅から笹塚駅まで散策しました。

説明するほどではないかもしれませんが、京王新線都営新宿線との直通の為に造られた線路です。京王線京王新線は並行しているものの別の場所に線路があり、複々線という扱いになっています。

初台駅幡ヶ谷駅京王新線のみにホームが設けられています。かつては京王線にもホームがありましたが、京王新線の開通でなくなり全列車通過扱いになっています。

1945年以前はこの区間にさらに多くの駅があったらしく、今回の散策ではそれを見るのも目的です。もっと昔には山手線を越えて東側まで線路が伸びていたようですが、今回は省略します。

新宿駅(撮り忘れたため2月撮影のもの)

世界最大のターミナル駅である新宿駅からスタート。

京王線は写真からはみ出した左側に駅があります。京王新線・都営新宿線は目の前の甲州街道20の下あたりを通っています(直下ではないらしい)。

京王線は昔は甲州街道の上を路面電車のようにして新宿駅の東側まで伸びていました。その後今の場所に終点を変更。その後さらに地下化し、併用軌道を解消しています。

地下化した当時の京王線ホーム(『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション9 京王電鉄 1950~60』より引用)

京王線新宿駅の地下ホームは1963年に完成。当時地上にあったホームを仮受けしながら直下で工事を進める工事だったようです。当時は4つの線路がある駅でした。

ホーム延伸( 京王電鉄のサイト より引用)

その後の列車長編成化によってホームを延伸する必要が生じましたが、北側には西口駐車場があって延伸できず、南側には急カーブと分岐器があって困難を極め、線路を3つに減らして8両編成に対応。10両編成対応には勾配や分岐器の位置を変更するなどして今の姿となっているそうです。

昔のNHKブラタモリで訪れていましたね。

新宿の拠点再整備方針( 新宿の拠点再整備方針 より引用)

ちなみに、今年の3月に東京都と新宿区が策定した『新宿の拠点再整備方針~新宿グランドターミナルの一体的な再編~』では新宿駅付近の大規模な改造を構想中。

京王線新宿駅の北側延伸のような記述も見られ、今後も変化がありそうな新宿駅界隈です。

新宿駅立体模型(田村圭介+昭和女子大学環境デザイン学科田村研究室)『東京 橋と土木展 土木コレクション2017』で撮影

ちなみに、「新宿ダンジョン」なんて言われたりする新宿駅、個人的にダンジョン要素は少ないと思っているのですが、立体の複雑さはやはりすごいものです。京王線京王新線の立体交差を考えただけでもわくわくします。なぜあんな深い場所に新線新宿駅や大江戸線新宿駅があるのかわかってきますね。

西新宿二丁目付近

さて、新宿駅の話題だけで日が暮れてしまいそうなので西へ進みましょう。

こちらは甲州街道20です。この地下に京王新線が走っています。

京王線新宿駅が地下化する1963年までは京王線はこの街道上を走っていた(併用軌道)そうです。このあたりには新町駅が1945年頃まで存在していたようですが、かなり前のことで道路も拡幅され都市化が進んでその痕跡は見つけられません。ちょっと道路が広がってるのがそうなのか……わかりません。

京王線は渋滞などの影響で新宿駅の地下化と同時に線路も地下化したということだそうです。現在の京王線は写真はみだした左側の玉川上水跡を走っています。ちなみに京王新線が開通したのは1978年のこと。

文化学園付近

この付近で京王線は併用軌道から専用軌道へと切り替わり、現在の京王線と同じルートをたどります。

京王線の開業から暫くの間は、ここから玉川上水と並行して地上に線路が敷かれていました。

その後、地下化されますが、地下化は主に2回に分けて行われました。1回目京王線新宿駅初台駅の先まで。2回目初台駅の先~笹塚駅手前までです。さらに1回目は一度に全部施工したわけではなく、1963年4月1日には京王線新宿駅~文化学園付近をいったん地下化し、1964年6月7日に初台駅先まで地下化しています。

ここの文化学園付近、正確には東側あたりもトンネルの出入口になったことがある場所ですが、そういったモニュメントなどは設置されておらず、広い遊歩道があるだけでした。玉川上水のモニュメントはありました。

文化学園西側

暫くの間、玉川上水と並走します。現在は京王線玉川上水ともに地上に姿は見えず、緑道として整備されています。

何か所か京王線の換気口が設置され、電車の音が聞こえることがあります。

地下化した当時の京王線ホーム(『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション9 京王電鉄 1950~60』より引用)

玉川上水に並行した部分の京王線地下化にあたってはこのような手順で行われたようです。

玉川上水と京王線は別の場所にあったことがよくわかります。その後、玉川上水も暗渠化しているはずですが、それを調べると大掛かりになりそうなので止めておきます。(一応資料探したんですが)

天神橋駅付近

さらに進み、この付近には1936年まで天神橋駅があったとのこと。この付近も同じように緑道となっていて、駅の痕跡らしいものは見つけられませんでした。

京王の天神橋変電所が隣接しているのが関係しているかはよくわかりません。

この先はまた別記事にて。

撮影日:2018年6月14日、7月7日ほか 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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