「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索しています。今回は市ヶ尾付近です。
歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。
今回は藤が丘~荏田(江田)にかけて探索します。
現在の国道246号線から離れ、ここから旧道がスタートします。航空写真を見ると現在の国道は1961年~65年に開通したものと思われます。
この付近は1960年代~70年代にかけて上谷本第1土地区画整理事業、上谷本第2土地区画整理事業、下谷本西八朔土地区画整理事業が行われそれまでの道路や区画は整理されましたが、この旧道は以前とほぼ同じ場所に整備されています。
この道路の幅は旧道当時のものではなく、土地区画整理事業によって整備されたもので、当時の面影は無いように思えます。
2車線の道路になっていて、途中歩道もなくなります。
しばらく進むと柿の木台交差点におりてきます。途中数十メートル旧道ルートは途切れていました。
鶴見川を渡り、総合庁舎入口交差点で横浜上麻生道路と交差します。
さらに先では上市ヶ尾交差点で横浜上麻生道路の旧道と交差します。旧道同士の交差です。
この付近は土地区画整理事業は行われていませんが、河川の流路変更など少なからず土地の変化はあるように見えます。
この付近も1960年代~70年代にかけて土地区画整理事業が行われた場所ですが、旧道と同じようなルートで道路が整備されています。
歩道付きの2車線道路です。
旧道は東急田園都市線にぶつかります。田園都市線の向こう側には現在の国道246号線が並行して走っています。
現在は旧道はここで途切れていますが、周辺が開発される以前は田園都市線の場所に旧道があったようです。暫くすると、現在の国道246号線とルートが同じになります。
暫く現在の国道246号線を進みます。見える高架は東名高速道路E1です。
しばらく進むと荏田宿跡に辿りつきます。
荏田宿は矢倉沢往還時代に栄えた宿場でした。ただし、明治時代に大火があり面影はほとんど残っていないそうです。
上図で破線で示したのが矢倉沢往還のルートです。
その後赤い線で示したルートが開通します(幅員は現在のもの)。明治時代にはできていたようですが、どうしてクランクにしたのでしょうか。当時は自動車は考えていないでしょうから、宿場としての影響があったのかもしれませんね。
その後上図の通り道路ができています。ちょっと複雑な変遷を経ていますね。
「旧道らしい」旧道の分岐で、旧道は左に進みます。
正面が青色の道です。最初地図を見たときはこれがもともとのルートだと思っていたんですが違うんですね。
荏田宿は交差点を右へ。既に書いたように面影はありませんが、常夜灯が残っています。
こちらも旧道らしい合流です。こういう景色好きな人多いはず。
撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
コメント
こちらにもコメントさせてください。
荏田はちょっと大山街道は複雑です。図のセブンイレブンから246の荏田交差点をさらに東に向かう部分も大山街道として記録あります。灯篭とか残っていますが、こちらが宿場街だったのでしょうか。また青い道を延長して、246を渡ったところのポルシェセンターを横切って川を渡ったあたりから旧道が残っています。その旧道は246から少々東側に並走しています。そして峠茶屋の裏手あたりまで続きます。
川崎国道事務所のサイト内に昭和より前の大山街道について詳細に公開されています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/kawakoku/kawakoku00027.html
記事冒頭にも書いていますが、この記事の探索は、江戸時代などの道ではなくあくまでも昭和期の旧道であることをご承知おきくださいませ。