町田市内で1本の都市計画道路が廃止されようとしています。
その名も「町田3・4・14号三輪麻生線」。
県道139号真光寺長津田線(こどもの国通り)139から横浜市境に至る全長1,590mの都市計画道路で、計画幅員は16mです。
そんな町田3・4・14号三輪麻生線の歴史を振り返ってみようと思います。
計画の決定
町田3・4・14号三輪麻生線は1969年(昭和44年)5月20日に旧都市計画法下で都市計画決定されました。
現在の都市計画法は1968年(昭和43年)6月15日に定められ、1969年(昭和44年)6月14日に施行されました。旧法は同日廃止されました。現在の都市計画法では、都市計画決定主体は市町村が中心とされており、広域的・根幹的な都市計画に限って都道府県が決定することとされています。
一方、旧都市計画法では、都市計画決定主体は国であり、町田3・4・14号三輪麻生線も当時の建設省によって決定されました。
これが決定当時の図面です。当時の理由書には「交通の円滑を図るため」とあります。
また、当時は番号の付け方が現在とは異なり、「町田2・2・26号」といいました。1989年(平成元年)に東京都内一括で現在の番号の付け方にならって変更されました。ルートも現在とは位置が若干異なります。これは後程。
この1969年の決定時には、三輪麻生線のほかに、町田市内の複数の都市計画道路も決定しました。そのうちの1つが、金井・玉川学園方面の町田3・4・13号木曽学園線です。
1969年の決定後のこの地域の都市計画道路網はこのようになりました。
この後現在までに奈良1号線が廃止されたり、一部線形が変更された路線があったりしますが、現在もなおほぼ同じ形で都市計画道路が決定され続けています。
都市計画道路網の謎
しかし、不思議な点があるのです。
・町田3・4・13号木曽学園線と町田3・4・14号三輪麻生線の間の川崎市・横浜市に都市計画道路が決定されなかった
・町田3・4・14号三輪麻生線の東側の横浜市内も都市計画道路が決定されなかった
要するに、町田市内に2つの盲腸のような都市計画道路ができてしまったのです。
都市計画図を見るとわかるのですが、ほとんどの都市計画道路は起終点が別の都市計画道路と接続していることがほとんどで、盲腸となっているのは駅前広場への道路などを除けばほぼありません。それだけ異質な存在です。
ここで、もう一度「町田3・4・14号三輪麻生線」と「町田3・4・13号木曽学園線」の決定当時の図面を見てみると・・・
どうでしょう・・・何やら2つの都市計画道路を繋ぐ線が書いてあるのです。
そして、町田3・4・14号三輪麻生線の東側、横浜市方面もうっすらと線が書いてあります。
線が書いてあっても、結局のところ、横浜市・川崎市内では都市計画決定されなかったわけですが、なぜ決定されなかったのか、以下のような仮説を立ててみました。
(仮説)町田市内は旧都市計画法に基づき国が都市計画決定したが、横浜市・川崎市内が都市計画決定する前に(現行)都市計画法が施行され、都市計画決定主体が国から県以下に降りたため決定されなかった。
仮説が正解かどうかもよくわかりません。うーん。
なお、のちの(2019年)町田市の都市計画審議会では、
〇〇委員 もしもわかれば伺いたいんですけれども、そもそもどのような経緯でここが都市計画決定されたのか、何か記録とか地域での話とかあるものなんでしょうか。
〇〇道路政策課担当課長 都市計画道路の変遷については、1969年に当初計画がなされております。その後、名称変更等々あります中で、路線番号等は変わってはいますが、当初なぜ都市計画道路として、川崎側、横浜側に接続道路がない中で位置づけを持たせたかというところは定かではありません。おそらく、その当時の方々の、道路をつなげていこうという意思のあらわれではないかとは感じております。
とあり、町田市の担当者もなぜ盲腸のような都市計画道路なのか不明なようです。
三輪麻生線のその後
町田3・4・14号三輪麻生線は1981年5月29日に都市計画変更が行われます。
この変更では、現在の線形に変更となります。
変更の理由には「近年の急速な市街化に伴い、健全な市街地の造成、及び交通の円滑を図るため」とあります。
その変更の直後、1981年10月29日からは三輪土地区画整理事業が事業認可され、現在の三輪緑山住宅一帯の造成工事が始まります。単純に考えるならば、土地区画整理事業のため道路計画の線形を変更したのでしょう。
三輪土地区画整理事業は1989年に完了し、現在の街並みが出来上がりました。
一方、三輪土地区画整理事業の区域に含まれなかった町田3・4・14号三輪麻生線の東側半分は未整備のまま現在まで引き継がれています。
この先は整備されませんでした。
都市計画道路の見直しへ
2016年(平成28年)3月30日に、東京都・23区・26市・2町が『東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)』を策定しました。
この第四次事業化計画では、整備を推進する「優先整備路線」のほかに、計画内容について検討を要する「計画内容再検討路線(区間)」なども選定されました。
そして、町田3・4・14号三輪麻生線と町田3・4・13号木曽学園線は計画内容再検討路線(区間)に含まれることになりました。
町田3・4・14号三輪麻生線その後、町田市で検討が行われ、2019年10月に都市計画変更(素案)が公表され、全線で都市計画道路を廃止することとなりました。
今後、手続きや都市計画審議会による決議を経て廃止されるものと思われます。
町田3・4・13号木曽学園線については東京都が見直しにむけた手続きを今後行う方針です。
まとめ
1969年に決定されたこの都市計画道路は決定から半世紀を経て廃止になります。横浜市・川崎市側も決定されていれば、少し違った町や未来になっていたかもしれません。
また、金井~真光寺長津田線、真光寺長津田線~寺家方面に至る道路は現状ほぼ無く、この都市計画道路の整備を望んでいた人もいることでしょう。廃止をするならするで、今後のまちづくりの方針など、しっかりとした道筋を説明する必要があるのではないかと思います。
コメント
いつも楽しく拝見しています。
前職が集配ドライバーをしてまして、町田市北部(忠生が南限、相原~三輪)の広大な地区を担当していました。
今回のこの道もよく使っていました。
当時から変な道とは思っていましたが、このような経緯があったとは知りませんでした。
三輪や三輪緑山は配達がしづらく、鶴川の陸橋から入るしかありませんでした。
木曽学園線~三輪麻生線が繋がっていれば、もっとラクに配達ができていただろうなー、と思ってしまいました。
あの周辺は町田市、川崎市、横浜市の境界でもあるので難しいのでしょうけど。
あのあたりは3つの市の開発の方針の違いで一体的な整備ができなかった地域ですね。
すべての交通が鶴川駅東口交差点に集中し、慢性的な交通渋滞にもつながってしまっています。
ご返信、ありがとうございます。
都県境に3市境……。温度差もあるでしょうし、仕方ないのかなぁ??
今後、鶴川駅南口が整備されても通り抜けは(確か)出来ないでしょうし、鶴川駅東口交差点への交通集中は変わらないのでしょうね。。
金井方面に抜けられますが、踏切や道が狭くて危ないです。