「戦時~高度成長期」頃の国道246号旧道を探索するシリーズ。今回は長津田駅付近です。
歴史のある道ですが、探索するのは江戸時代などの道ではなく、あくまでも昭和期の旧道です。
今回の長津田駅付近はこのようなルートになっています。
現在の国道は、航空写真によると1961年~64年頃に開通したものと思われ、当時から市街化していた長津田駅南口地区を迂回するバイパスルートとした経路のようです。
そもそも長津田は宿場町として栄えた土地で、1908年に横浜鉄道(現:JR横浜線)が開通し駅ができた土地でもありました。
旧道は長津田交差点から左にそれて行きます。
現在の国道は見るからに山を切り崩して開通したのかなという印象で、その先は恩田川付近まで谷筋に沿って下り坂が続きます。
旧道も一気に坂道を下って行きます。2車線の道路で、抜け道としての利用があるのか、少々交通量のある道路でした。
さてしばらく進むと、旧旧道としてまた少し古い道がグネグネっと曲がっています(上図参照)。
黄色の旧道ができたのは、航空写真によると1955年~56年頃です。このころといえば道路が国道として指定されたころで、何らかの関係があるのか気になります(わからないけども)。
旧旧道はぐねっと迂回して行きます。
何度も書いていますが、道というのは市街地再開発でもしない限り残るのが面白いものです。
長津田駅南側は旧道と重なるように都市計画道路が存在し、一部で拡幅が完了しています。駅南口も昔はもっと狭かったような気がするものですが、綺麗になったものです。
ちなみにこの辺りが宿場として栄えた場所のようで、面影はありませんが今でも商店が多く建ち並んでいます。
御幸……というからにはとネットで適当に調べたら大正時代の出来事と関連するようです。御野立所もあるみたいですが、それを知ったのは記事を書くときになってからです。事前に知っていたら行っていたかも。
明治大正くらいの行幸啓関係は結構石碑とか残っていたりするんですよね。
ちなみに写真の交差点から先は県道139号真光寺長津田線の一部とルートが重なります。
しばらく進み、旧道は左方向へ。右の太い道は都市計画道路として整備されたようで、特に歴史がある道ではないようです。
暫く坂道を下るとJR横浜線を潜ります。この狭さといい、石積みといい、歴史を感じませんか?
ちなみに反対から見るとこんな感じ。
Wikipediaによればこの辺りが複線化したのは1979年のようで結構最近のこと。(銘板によると橋の竣工は1974年のようです)
このように単線の名残が見られるのは萌えポイントの1つですね。
現在の国道と合流。ここで一部ルートが重複していた県道139号真光寺長津田線は終点です。
撮影日:2019年2月7日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
コメント
「右の太い道は都市計画道路として整備されたようで、特に歴史がある道ではないようです。」とされている道は、元々の神奈川道と考えられています。この交差点は、大山道と神奈川道の分岐点で、矢印の先端の上あたりに赤く見える屋根付きの場所に道標が残っています。