計画的な市街化のための基盤整備事業として「土地区画整理事業」があります。
このブログでも何度か施行地区を紹介していますが、道路や公園などの公共施設を整備し、また、土地の区画を整理する事業です。
詳しいことは検索なりしていただくといろんなサイトが出てくるので割愛します。
このような土地区画整理事業はこれまでに日本全国で約40万haが行われました。
事業期間は場所や面積など様々な要因によって異なりますが、組合施行の場合は5~10年程度、地方公共団体施行の場合は10~40年近くかかることが多いです。
そんな土地区画整理事業ですが、世田谷区内に1948年に認可されてから70年もの間、現在も事業中の土地区画整理事業がありました。
その名も、『砧土地区画整理共同施行地区』といいます。場所は小田急線の千歳船橋駅~祖師ヶ谷大蔵駅の中間の南側です。砧二丁目の一部他がそこに当たります。
注:新法に基づき1968年に認可された砧土地区画整理事業とは異なります。こちらは1980年に終了。場所はこの西側付近です。
世田谷区HPの「土地区画整理事業一覧(事業中地区)」にもしっかりと記載されています。
事業期間が70年にも及んでいて現在も施行中なので明らかに異常なので、調べてみることにしました。
着手前の地図
着手前の1932年の地形図を見てみると、この付近はこんもりとした山のように描かれ、目立った人家・道路はありません。給水所はいまもなお残っています。
掲載しませんが、1944年の地図を見ると、ここにはゴルフ場があったようで「砧ゴルフ場」と書かれていました。砧公園ができる前にあった砧ゴルフ場とは全くの別物のようですが、よくわかりません。
土地区画整理事業の認可
終戦直後の1948年(昭和23年)4月30日に認可を受けています。
告示は昭和23年東京都告示第251号で、国土計画興業株式会社代表者より申請があったと記載してあります。
この国土計画興業株式会社という会社は1920年に設立された箱根土地株式会社を起源に持ちます。小平学園町、国立、大泉学園町などの不動産開発を行い、西武グループの礎を作りました。国立駅を箱根土地が造り、鉄道省へ譲渡したのは有名な話かもしれません。
その後、国土計画興業→国土計画→コクドと変遷し、2004年に西武鉄道の証券取引法違反を契機にプリンスホテルに吸収合併されました。
ちなみに、このころの土地区画整理事業は旧都市計画法(旧法)に基づくものです。
認可を受けた1948年の航空写真を見てみると、道路の形は既に完成しています。
では、なぜ現在も事業中なのか。
それは「共同施行」という手法に問題がありました。
土地区画整理事業の事業主体には個人施行(一人施行、共同施行)、組合施行、公共団体施行、行政庁施行、公団施行、区画整理会社施行があります。
よくある組合施行の場合は、7人以上で組合を作り、土地の所有者及び借地権者の3分の2以上の同意と、土地の所有者及び借地権者の所有する土地の合計の3分の2以上の同意があれば始めることができ、組合員で組織する総会での議決比率なども規定されています。
一方、共同施行を含む個人施行の場合、施行者全員の同意で手続きを進めていきます。施行者は地権者全員です。
砧土地区画整理共同施行地区の場合、当初は7名の地権者(施行者)で始めたものが、宅地化が進み、現在は300名以上にも膨れ上がり、事業計画の変更・換地計画認可・終了認可等ができていないということです。
区域内で販売されている住宅にもしっかり記載がある(整備は整理の、施工は施行の誤字と思われる)
なお、現在は株式会社プリンスホテルが施行委員長という形で作業を行っています。
上でも書いたように道路は既に完成していますが、土地がまだ里道(赤道・赤線(法定外公共物のこと))が残っていたりするようです。
現在の現地
実際、現地へ行って見ると、綺麗に区画された道路があり、町としても成熟している雰囲気さえ感じされます。
ちなみに、この辺りは世田谷区でもっとも標高が高い場所があるらしく、家さえなければ眺めがよさそうです。当時の国土計画興業はそれを狙ったのかもしれませんね(憶測です)。現在分譲している住宅も「砧を見晴らす高台に。」というコピーで売り出しています。
いつ終わるのでしょうかね。
撮影日:2018年11月11日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
コメント
世田谷区では珍しく街が碁盤に区切られていると思っていたのですが。そんな事になっていたのですね。