鉄道唱歌の旅、続きです。
31番 見よや徳川家康の・・・
見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧の橋に残れるは 藤吉郎のものがたり
岡崎は徳川家康出生の地。名鉄の東岡崎駅前に新しくできたデッキ上には、巨大な徳川家康の像が置かれています。これ以外にも徳川家康にまつわるものが多く、いまでもお膝元なんだなと感じさせられます。
岡崎訪問についてはこちら
Wikipedia情報によると、現在の橋は2011年に完成した16代目で、最初に架けられたのは1601年なんだとか。何度か流されたものの、江戸時代には日本最長の橋を誇っていたそうな。へぇ~
その矢作橋の右岸(西側)にあるのが出合之像です。この像が「藤吉郎のものがたり」を表しています。
日吉丸(のちの木下藤吉郎→豊臣秀吉)は12歳のときに奉公先から逃げ出し、矢矧橋の上で寝ていた。そこを小六正勝(蜂須賀正勝)を筆頭とする盗賊集団が通りかかり、日吉丸の頭を蹴飛ばした。日吉丸は小六正勝に詫びるよう言い寄った。これに対し、小六正勝は日吉丸の度胸を買い手下にした・・・
という話なのですが、当時は橋はなく、のちの創作だそうです。
32番 鳴海しぼりの産地なる・・・
鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狭間
この鳴海駅の交通広場脇には、「鳴海絞発祥の地」石碑が立てられています。
鳴海絞りというのはこの地を中心に生産される絞り染めの織物のことで、近くの有松絞りと含め、「有松・鳴海絞り」ということもあります。
この鳴海駅を降りて、鳴海絞りの手ぬぐいでも売っている店がないか探したのですが、見つかりませんでした。2つ隣の有松駅の方が盛んなのかな。名古屋駅でもお土産として売っていないか探したのですが、名古屋駅のキヨスクお土産売り場って食べ物ばかりなんですよね・・・
名鉄の中京競馬場から徒歩数分のところにあるのが桶狭間古戦場。まぁ、説明は要らないでしょう。
なお、この歌で歌われている「大高」以外は名鉄沿線にあります。この日は矢作橋駅→[名鉄]→中京競馬場駅(桶狭間)→[名鉄]→鳴海駅→[徒歩]→大高駅・・・と散策しました。
大高駅は割愛。
33番 めぐみ熱田の御やしろは・・・
めぐみ熱田の御やしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あふげや同胞四千万
熱田神宮は訪問済みのため割愛。
訪問時の記事
34番 名たかき金の鯱は・・・
名たかき金の鯱は 名古屋の城の光なり 地震のはなしはまだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん
近くまで来たことはあったけど、入場料が必要な範囲に入ったことなかったなぁと思いこの際訪問。
鉄道唱歌の歌詞中に出てくる「地震のはなし」というのは、1891年に発生した濃尾地震のことです。鉄道唱歌が発表される9年前のことです。
35番 父やしなひし養老の・・・
父やしなひし養老の 瀧は今なほ大垣を 三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに
鉄道唱歌では、養老の滝に伝わる逸話が歌われているようです。
養老の滝・・・見に行きたかったものの、駅から若干距離があるため断念。
36番 天下の旗は徳川に・・・
天下の旗は徳川に 帰せしいくさの関が原 草むす屍いまもなほ 吹くか伊吹の山おろし
天下分け目の戦い・・・関ヶ原。
「伊吹の山おろし」とはこの地に冬季に吹く季節風のこと。10月の関ケ原はまだ冬の気配はありませんでした。
37番 山はうしろに立ち去りて・・・
山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海 ほとりに沿ひし米原は 北陸道の分岐線
今回の鉄道唱歌の旅は米原で一旦終了。続きはまたの機会、またいつか。
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