南多摩尾根幹線の歴史・現況・今後について

南多摩尾根幹線とは

多摩都市計画道路第3・1・6号南多摩尾根幹線調布市多摩川三丁目~町田市小山町に至る全長約16.6kmの都市計画道路です。標準幅員は43mです。

なお、道路愛称としての「南多摩尾根幹線道路」は町田市小山町~稲城市百村に至る区間のみとなっています(百村~矢野口間は鶴川街道)。地域からは「尾根幹(おねかん)」「尾根幹線(おねかんせん)」などと以前から呼ばれていますが、正式にこのような愛称が決定したのは2014年(平成26年)4月1日になってからです。

北側は都市計画道路調布保谷線とも接続し、埼玉方面から神奈川方面を結ぶ、多摩地域の骨格を形成する重要な路線として位置付けられています。

広い中央分離帯が残る現在の尾根幹線

現在は多摩市連光寺・稲城市若葉台・長峰地区の一部を除き全線で開通していますが、稲城市百村~多摩市唐木田付近は広い中央分離帯があり片側1車線の暫定的な整備にとどまっています。

南多摩尾根幹線の歴史

多摩ニュータウン事業と南多摩尾根幹線

南多摩尾根幹線の歴史は多摩ニュータウン開発から始まります。

1次案
3次案

1963年(昭和38年)に多摩ニュータウン構想が示されますが、南多摩尾根幹線とほぼ同じルートで幹線道路が示されるのは、都市計画学会報告書の第3次案からとなっています。第4次案ではアクセスコントロール(自動車の乗り入れを特定の場所に限定すること)を行う道路ととして位置付けられています。

1966年(昭和41年)12月24日に初めて、「多摩都市計画道路1・3・4号」として都市計画決定されました(建設省告示第4123号)。

1969年(昭和44年)には詳細な設計を行い、『多摩ニュータウン尾根幹線道路基本設計調査報告書(基本設計’69案)』として取りまとめています。その中では以下のようにされています。

尾根幹線は、この広域幹線道路網に、南西部の放射幹線として取り囲まれている。中央道及び東名高速道路が、主として遠距離交通を受け持つのに対して、尾根幹線は、多摩ニュータウンという大規模開発地域から発生する交通、および相模原、町田方面からの交通を処理するほか、津久井湖周辺遠くは富士五湖を目的とするレジャー交通の用にも供するものとみなされている。

多摩ニュータウン尾根幹線道路基本設計調査報告書(基本設計’69案)

そのうえで、南多摩尾根幹線は本線部分と側道部分からなる複道システムとして計画され、主要交差点には本線へのランプを設け、本線部分は時速80km/hの高速道路であるが料金は徴収しない「フリーウェイ」道路として計画されました。

66’計画案断面図

一方で、南多摩尾根幹線の東側の調布市内は計画幅員18mであることや、ニュータウン域外の稲城市内の計画幅員が25mであることから、その部分でボトルネックになることが既に指摘されています。また、1995年(平成7年)に交通開放された現在の稲城大橋(仮称:第二多摩川原橋)である、多摩都市計画道路第2・1・1号線(当時)に分岐させることも検討されていたようです。

1969年(昭和44年)5月20日には、「多摩 広路1号」として名称・延長が都市計画変更されました。この時期から多摩ニュータウン開発と並行して工事に着手しているようです。

多摩ニュータウンの入居開始と反対運動

多摩ニュータウン諏訪地区

多摩ニュータウン開発の進展に伴って、1971年(昭和46年)には諏訪・永山地区からニュータウンへの入居が始まります。

そうしたなか、1974年(昭和49年)4月に多摩ニュータウン諏訪・永山地区に入居した住民から、南多摩尾根幹線工事用道路の公害防止、工事用道路として使用されている側道を一般道に切り替えることへの反対、団地内通り抜け車両の占めだし、自然環境や生活環境の破壊などを理由に南多摩尾根幹線建設反対運動が起こります。

住民は「おねかんミニミニ情報」(のちに「おねかんニュース」になる)というビラを作成し、のちに尾根幹線を阻止して住民による町づくりをすすめる会を結成して建設反対を訴えていくようになりました。

同年11月には道路封鎖にまで発展します。また同時期には会のメンバーが警察に連行される事態も起こっていたようです。

その後、再三にわたって議会への請願が出されます。

尾根幹線に関する請願

請願第三号 昭和49年9月7日受理

請願者 [当ブログでは掲載しません] 他16名

 多摩市当局のご指導に依り、小野路地区住民念願の多摩市民になり得た事は、ニュータウンの将来を考へ喜に堪へません。然し乍ら、此の事業の当初より計画されし尾根幹線道路に付き、公団当局を通じて機会有る毎に、其の修正を懇願して参りましたが、一度の話合が持たれぬままに、昭和45年度に計画決定がなされ今日に及んだことに、関係者一同憤激に堪へない次第です。

 然し乍ら、現在多摩市民として、又、ニュータウンの将来を展望する時、私達の街造りを真剣に考へるべき時期ですが、本件道路が部落の中央を横断する状況を思ふ時に、高速高架の構造では安住の地を願ひ、将来発展を夢見る該当部落は、交通公害に依り発展は愚か、破滅の方向を辿る恐は多分に有り、いまだ区画整理の出発点さへ合意して居りません。斯様な状況から、本件道路が部落と共存共栄を基本として

一、高速帯の設置位置を十分研究し合意を得る事。

一、沿道サービスを可能な構造にする事。

一、公害対策を十分に行って欲しい。

一、現コミュニティを維持できる様配慮して欲しい。

一、減歩は増加させない様、配慮して欲しい。

一、工事施行に当っては住民の意向を配慮して欲しい。

 右項目を最小必須の要望として関係当局に強く要請しつゝ、猫額の土地乍ら、子々孫々が評価出来る基盤造りが私達の責務と決め、既設高速付近の見聞等、其の対策を講じつゝ居りますが、将来の設計が決らぬ現在、心中落日の思ひで憂慮ニ堪へず、貴議会に其の御指導方をお願に及んだ次第です。

 以上、私達の意を了とせられ、貴議会に於かれましても特段の御配慮と御指導を賜り度く、関係者一同連署をもって請願申上ます。

昭和49年9月8日

***1974年(昭和49年)9月30日趣旨採択

尾根幹線(多摩都市計画街路多摩・広路・1号)の計画の破棄等を求める請願書

請願第14号 昭和50年6月20日受理

請願者 [当ブログでは掲載しません] 外12,082名

 私たちは、公害、環境破壊、自然破壊を現在以上に大きくさせてはならない、多摩市を文字どおり「太陽と緑に映える都市」にしなくてはならあい、との見地から、別冊「請願書名簿」の連署を添えて次のとおり請願いたします。

請願事項

(1)貴議会におかれましては、尾根幹線(多摩・広路・1号)計画を東京都知事に破棄させることを決議し、その旨同知事に要請するとともに、東京都議会に対しても同議会が同趣旨の決議を行い、都知事にその実現をはからせるよう要請して下さい。

(2)貴議会におかれましては、多摩市長に対して、同市長が東京都知事に対し、尾根幹線計画の廃棄を求めることを要請してください。

(3)貴議会におかれましては、尾根幹予定地及び同予定地と多摩ニュータウン南縁の「ニュータウン区域界」の間の地域を、自動車道路はもとより、自然、住環境を損う恐れのあつ都市施設は一切つくらせない「緑地帯」にすることを決議し、その旨東京都知事に要請して下さい。

 また、その際の具体的な土地利用計画の決定に当っては、私たちにこの請願する者たちの意思が最優先されるよう措置してください。

(4)貴議会におかれましては、東京都中央卸売市場多摩ニュータウン市場の計画を多摩市長に破棄させることを決議し、その旨同市長に要請して下さい。

昭和50年6月10日

***昭和51年3月26日 不採択

尾根幹線側道を一般普通道として早急に通行使用できる陳情

陳情第30号 昭和50年12月23日受理

陳情者 [当ブログでは掲載しません] 外302名

 平素市議会の諸先生方には色々と問題が山積する現在、日夜市政発展の為にご尽力賜り、深甚なる敬意と感謝を申し上げます。

 さて既に計画決定のなされて居る仮称尾根幹線の側道を、一般普通道路として通行の促進を願うものであります。此の道路は、事業以来の道路の付け替え道路で、我々住民の生活道路であり、日常活動にも支障をきたしているしまつです。

 御承知の通り、此の側道は現在日本住宅公団の通行証の有る者以外は通行出来ず、周辺の住民はもとより、多くの多摩市民をはじめ近隣地住民も非常に迷惑しており納得できません。

 この様な実情を考慮され、一刻も早く自由に通行出来る生活道路の姿にもどしていただくよう、特段の御配慮を賜り度く、ここに連署をもって陳情申し上げます。

昭和50年12月23日

***昭和50年1月31日 趣旨採択

尾根幹線(多摩都市計画街路・多摩広路・1号)の計画の公害問題に対応する処置に関する意見書(知事宛)

議員提出議案第5号 昭和51年3月26日 原案可決

 多摩ニュータウンに於ける尾根幹線については、都市計画決定をみており、将来の都市機能に対応する道路である。

 然しながら、住宅優先時点におけるこの計画は、現況に於いては公害問題が予想され、住民の強い反対要望が生じている。住民の不安感の排除と優良な住環境の向上を願い、今後の尾根幹線(多摩広路1号)の事業決定については、当多摩市議会とも十分なる事前協議を経たうえで、左記事項を速やかに実施するよう強く要望する。

一、幹線(中央部分)についての自動車用道路計画は再検討すること。

二、五・六住区(諏訪・永山地区)の北側々線は緊急時(災害・地下埋設物の補修)以外の自動車の通行を禁止し、そのかわり南側に生活道路を早急に実現すること。なお、南側道路ができるまで北側々線は現状のまゝ工事用道路とし、以後この利用については事前に協議すること。

三、今後建設される住宅や学校は、側道部分から十分離して建設し、緩衝地帯、緑地帯等を設けること。

 右、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出する。

こうしたなか、工事を行っていた公団と東京都は調整を行い、意見書を踏まえた対応策をまとめ、1972年(昭和51年)6月には住民説明会の開催により周知を図ったものの了解は得られませんでした。

反対意見がある一方で、側道の早期完成の要望も出されていることから、工事着手を決定し、1979年(昭和54年)10月23日に着手しました。その後も反対、促進の運動が展開されていきました。その後、1983年(昭和57年)4月に永山~諏訪間の側道が交通開放されました。この開通した道路形態は2017年(平成29年)と変わっていません。

一方、1977年(昭和52年)には、南多摩尾根幹線の幅員が多摩ニュータウン域内と稲城・調布市内で違うことによる不整合や、自転車歩行者道の幅員が2.5mと狭いこと、社会情勢により’69案のような複道システムは厳しい批判があること、などから南多摩尾根幹線の総合的な解決の方向を探るため「多摩ニュータウン尾根幹線道路 基本設計’77」を取りまとめています。

この基本設計’77の中では、5つの案について比較検討を行っています。

  • A案は「ブールバール方式」とし、車道を道路の中央部に寄せ、自転車道、歩道および植栽等を含めた環境施設帯を道路の両側になるべく広く均等に確保しようとする案です。
  • B案は「パークウェイ方式」とし、原則として車道を道路の片側に不自然にならないように寄せ、これによって生み出された余空間を広域サイクリングロードを含んだ環境施設帯として確保しようとする案です。
  • C案は「リザーブウェイ方式」とし、従来の設計で貧弱とされていた自転車道・歩道および植栽帯を多少豊かにしたほかはほとんど従来どおりで、道路の中央部に余空間としてのリザーブ空間を確保しています。そのうち、リザーブ空間に「広域サイクリングロード」を設置するC-1案、「新交通システム」を導入するC-2案、さらにリザーブ空間を利用し「交差点連続立体化」するC-3案を作成しています。

こうした中、’77案では従来までの複道システム計画についてはC案で一部記述があるものの、全体的に難しいことをにおわせています。また、ここまで南多摩尾根幹線の性格が明確になっていないようにも思えます。

その後の紆余曲折

1989年(平成元年)には東京都が「第4種第一級の都市計画道路として整備する」との方針を打ち出し、新住宅市街地開発事業(多摩ニュータウン事業)では稲城の鶴川街道~町田街道間の側道を整備し全区間の供用開始を目指すことになりました。

その後、1991年(平成3年)には南多摩尾根幹線の都市計画を変更します。地表式(平面構造)であった計画を、唐木田~聖ヶ丘・長峰~向陽台区間は掘割式に、聖ヶ丘~長峰区間は地下式(トンネル式)に、唐木田以西と向陽台以東は地表式に変更するものです。

東京都はその後、尾根幹線をこの都市計画変更のように着手に向けて動き出しますが、公団等が1993年(平成5年)に刊行した『多摩ニュータウン諏訪・永山地区の活性化方策に関する基本構想検討調査報告書-尾根幹線道路の沿道地域を中心とする“都市更新”試案-』では、複雑な地形での掘割式による事業費が高いことなどを指摘しています。

その後、2001年(平成13年)11月に公表した行政評価では南多摩尾根幹線整備の「抜本的な見直し」と評価され、多大な事業費や長期の事業期間を要するため、事業手法は社会経済状況の変化を踏まえ改めて検討が必要と指摘されています。

その後、2004年(平成16年)7月には「行政評価結果を踏まえた事務事業の見直し状況」を公表し、掘割式を地表式にすることで建設コストを抑えられ、大きな交通混雑も生じず環境基準内に抑えられると結果を出します。東京都は2003年(平成15年)に、都市再生機構は2006年(平成18年)に新住宅市街地開発事業を終了し、多摩ニュータウンの公的な開発は終了することになります。南多摩尾根幹線は道路事業として整備されることになります。

一方、2006年(平成18年)に策定した「多摩地域における都市計画道路の整備方針」いわゆる第3次事業化計画では、南多摩尾根幹線は今後10年で優先的に整備をすべき優先整備路線には位置付けられず、「神奈川県の都市計画道路との接続検討」「概成(暫定2車線)区間の整備形態の検討」が示されます。

2014年(平成26年)5月21日は当時の舛添要一東京都知事が多摩地域を視察。その際、南多摩尾根幹線についても視察をしています。

2014年(平成26年)12月には東京都が「長期ビジョン」を策定し、この中で南多摩尾根幹線は東京都の主要な幹線道路網の一路線に位置付けられます。

2015年(平成27年)2月には「南多摩尾根幹線の整備方針」を策定。これは暫定2車線区間の南多摩尾根幹線の早期整備を実現するため道路構造の基本的な考え方や今後の整備を定めたものです。

基本的な考えとして、 以下のことが掲げられています。

  • 渋滞の緩和、広域的な幹線道路の機能確保のため、全線4車線とする。
  • 沿道のアクセスやまちづくりとの一体性などから平面構造とする。
  • 現在の道路用地を有効活用し、沿道環境に配慮した道路形態とする。
  • 多摩市及び稲城市の市境付近はトンネル構造とし、保全地域に配慮したルートの検討を行う。

詳しくはこのブログの過去の記事で扱っています。

整備方針では、1991年(平成3年)に掘割式として都市計画変更した区間を地表式に都市計画変更し、若葉台・連光寺地区はトンネル構造とすることとしています。なおトンネル区間は連光寺・若葉台里山保全地域に指定(2014年11月14日指定)されているため、これに配慮したルート検討を行うことにしています。

また、従来より地表式で都市計画決定していた唐木田以西については準備ができ次第工事に着手する方針となりました。このため、唐木田大橋については2016年1月ごろ(?)に車線を引き直し4車線化し、大妻女子大~ぐりーんうぉーく前の交差点間(唐木田区間)は2017年(平成29年)から準備工事に着手、同年10月から本体工事に着手しました。

整備のよりどころとなる計画の策定

2016年(平成28年)3月に策定された「東京における都市計画道路の整備方針」いわゆる「第4次事業化計画」では,南多摩尾根幹線は優先整備路線に選定されます。

その後、12月に策定された「都民ファーストでつくる『新しい東京』~2020年に向けた実行プラン」では南多摩尾根幹線の整備を推進し多摩ニュータウンの魅力を向上することなどが示されています。

2017年(平成29年)9月には「多摩の振興プラン」を策定しました。この中で、「南多摩尾根幹線の整備を推進し、早期に広域的な道路ネットワークを形成することにより、多摩ニュータウンの魅力を向上させる」こととしています。

2018年(平成30年)2月には、東京都が「多摩ニュータウン地域再生ガイドライン」を策定しました。この中で、「広域的な交通インフラの充実」として、南多摩尾根幹線の整備を推進することが書かれています。

このように、南多摩尾根幹線は多摩ニュータウンの再生に合わせて整備を推進するよう、さまざまな計画の中で言及されています。

多摩東公園交差点~多摩市総合福祉センター前交差点間 着手へ

2017年(平成29年)10月~11月には、都市計画変更を予定していた区間のうち多摩東公園交差点多摩市総合福祉センター前交差点で事業に着手するため、都市計画変更の手続きである都市計画変更素案を公表、環境影響評価の手続きである「特例環境配慮書」を告示・縦覧に供しました。

この区間は計画段階環境影響評価の対象となったことから、鶴牧区間諏訪・永山区間で複数案を作成しました。

いずれも上下線で高低差のある場所です。検討の結果、2018年(平成30年)8月9日にいずれもB案とすることが決定し公表されました。

また、2018年(平成30年)4月20日には、これに係る見解書が告示されました(都告示第661号)。

今後は2019年(平成31年)2月6日開催予定の第224回東京都都市計画審議会に付議されました。

その後、2019年3月6日に都市計画変更が行われ、2020年2月20日に事業認可を得て事業が開始されました。

稲城福祉センター入口交差点~多摩東公園交差点間 着手へ

2019年(令和元年)7月29日には、稲城福祉センター入口交差点多摩東公園交差点間について都市計画変更素案及び特例環境配慮書が工事され、8月にかけて説明会が行われました。

この区間についても、 こ計画段階環境影響評価の対象となったことから複数案を作成しました。

現在、都市計画変更等の手続きが行われています。

(2020年5月25日現在ここまで)

着工前の状況

現在の尾根幹線について西側から東側に向けてざっと見ていきます。特筆がない限り東側に向けて撮影しています。もっと詳しい現況は別に記事にしたいと思います。

南多摩尾根幹線の西端から

南多摩尾根幹線の西端の町田街道から撮影しています。ここから多摩境通りに向かって小山沼陸橋をぐっと登っていきます。

この区間は1995年(平成7年)に着手し、2014年(平成26円)11月9日に開通しました。本線部分は4車線ですが、自転車等は通行できず側道を通る必要があります。

相模原方面への延伸を待つ

南多摩尾根幹線は相模原方面へ新たに都市計画道路を決定し延伸する計画があります(仮称:町田3・3・50号小山宮下線)。この先、境川を越えて相模原市に入りますが、相模原市方面でも相模原3・5・3号宮下横山台線を延伸・拡幅する計画です。2017円(平成29年)11月には都市計画決定のための説明会が行われる予定だそうです。

小山長池トンネル

多摩境通りを越えると小山長池トンネルをくぐります。このトンネルの上には「戦車道」で知られる尾根緑道があります。

清水入陸橋

小山長池トンネルを抜けると4車線の広い道路がしばらく続きます。途中、南多摩斎場入口交差点清水入陸橋による立体交差となっています。この陸橋は2005年(平成17年)7月7日に開通しました。同時に小山長池トンネルの車線数も増やされたようです。尾根幹線で唯一の交差点の立体交差になっています。

長池上小山田陸橋から

途中、この付近には旧道が残っています。この写真は旧道の長池上小山田陸橋から撮影したものです。

旧道には米軍の由木通信所がありましたが、2016年7月1日に返還され、現在では通信設備だけが残されています。通信所が返還された現在となっては旧道はほとんど用なしの状態です。

ぐりーんうぉーく前の交差点

ここから稲城方面にかけてはほとんどが2車線となります。この交差点は直進車線が2つあるにもかかわらず、受ける側がすぐに1車線に減少するため合流時に渋滞がしばしば発生します。ここから先、大妻女子大付近までは「唐木田工区」として2017年(平成29年)10月から4車線化に向けた拡幅の本体工事が始まっています。

しばらく進むと唐木田大橋を越えます。唐木田大橋は小田急多摩線を越える跨線橋で、この下に小田急多摩線とその車庫があります。上下線が分離された橋でかつては1車線ずつの通行帯でしたが、2016年(平成28年)初頭前後に区画線が引き直され片側2車線になりました。

現在は暫定的にすぎないため、稲城方面は橋を渡ってすぐの多摩市総合福祉センター前交差点で左側車線が左折専用になっていたり、相模原方面は右側車線が消滅したりと、その効果は発揮できていない状況にあります。現在は車線についての予告がないため、知っているドライバーは準備して走行していますが、知らないドライバーはトラップに引っかかっています。

多摩市総合福祉センター前交差点

唐木田大橋を渡り終えると摩市総合福祉センター前交差点に差し掛かります。奥に見える建物が福祉センターで、アクアブルーという屋内プールは多摩市民だけでなく周辺の人に人気のある施設です。

ここから先、稲城市方面にかけては広い中央分離帯を有する片側1車線の道路が続きます。「歴史」の項目でも書いたように、中央部分に本線を立体的に建設する予定でしたが、結局建設されないまま計画を凍結し、平面4車線で建設する方針になっています。

そのうち、ここから多摩市の多摩東公園交差点までは、2017年(平成29年)現在都市計画変更に向けた関連手続きを実施中です。

多摩市鶴牧のY字橋から

多摩市鶴牧のY字の形をした歩道橋から撮影しています。ここから多摩南野交差点付近まで、上下線で高低差のある作りとなっています。このことから、今後平面4車線で建設する場合もそれなりの制約が生まれるため、2017年(平成29年)10月現在、2つの案をつくって比較検討を行っています。

ちなみに、1991年(平成3年)に都市計画変更した際の環境アセスメントでの完成予想図はこんな感じです。

一本杉橋から

一本杉公園に隣接する遊歩道「一本杉橋」から撮影したものです。

多摩南野交差点から多摩卸売市場前交差点付近までは上下線にさほど高低差は無く単調な道路が続きます。今後の都市計画変更でも上下線の高さがそろった平面で建設される方針です。

中央部の大きな中央分離帯は工事用車両の停車場所として使われることもあり、見に行った現在この場所では一本杉橋の改修の関係車両が使用していました。昔はもっと残土があった気がするのですが、徐々に減らしているのでしょうか。

多摩卸売市場前交差点

鎌倉街道と交差する多摩卸売市場前交差点です。写真の右側奥に1983年(昭和58年)に開場した東京都の多摩ニュータウン市場があります。取扱量としては少ない方です。この市場の建設に当たっても、ニュータウンに入居した周辺住民から反対の声があったようですね。

この交差点は南多摩尾根幹線鎌倉街道をオーバーパスで越える立体交差点として都市計画変更される予定です。

対面2車線になる

永山区間では対面通行の2車線になります。これは「歴史」の項でも書いたように住民の反対運動があったからで、諏訪・永山団地に近い北側を遊歩道として開放し、自動車が走る部分は南側に寄せる形になっています。このあたりでも上下線で高低差があり、都市計画変更の手続きの中で2つの案を作成し比較検討を行っています。

諏訪・永山地区の団地と遊歩道

諏訪・永山地区は多摩ニュータウンでも初期に入居が始まった地区で、反対運動もあった地区ですが、南多摩尾根幹線から住宅地までの距離が他の地区に比べて近いのも特徴です。この地区では段階的に団地の建て替えも進行しています。

こうした中、2016年(平成28年)3月に多摩市が公表した『多摩ニュータウン再生方針』では、「広域的な視点で、次世代を見据えた産業・業務、商業機能の誘致や育成を図り、多摩ニュータウンにおける新たな付加価値を創造する場としていきます。」としており、今後周辺環境が変化することも考えられますね。

エコプラザ付近のS字カーブ

対面通行になっているエコプラザ多摩前交差点の西側ではS字を書くように蛇行した道路状況になっています。

これはこの付近で南多摩尾根幹線の都市計画線に川崎市がかかっているためで、これを迂回し川崎市に入らないようにしています。都市計画線がはみ出たりすることは珍しいことではないと思いますが、当時の公団などが行政境の変更や都市計画線の変更も検討しましたが、結局そのまま多摩ニュータウン事業は終了し東京都に引き継がれています。

今度の都市計画変更でもこの線形は変更せず、川崎市にはみ出して南多摩尾根幹線は建設される計画です。この部分には「よこやまの道」と呼ばれる遊歩道があるため、建設にあたってはよこやまの道のルートの変更等が生じる予定です。

多摩東公園交差点

その後、諏訪・永山区間を抜けると再び広い中央分離帯が現れ、片側1車線ずつの道路になり、多摩東公園交差点に差し掛かります。この交差点は土曜・日曜を中心に横切る道路などがしばしば渋滞していて、南多摩尾根幹線の都市計画変更素案及び特例環境配慮書の説明会で配布されたパンフレットの図では、平日最大980mの渋滞が発生しているとしています。ただ、今度の都市計画変更では平面交差になる計画です。

右に見えるのは永山中継局というデジタルテレビの中継局で、2010年(平成22年)に開局しました。これとほぼ同時に多摩南野にあった多摩中継局がなくなっています。この中継局の足元には都道137号線が通っていますが、南多摩尾根幹線を陸橋で越えていき直接接続しません。

2車線の区間(若葉台)

多摩市から稲城市に入ると対面通行の広めの2車線道路になります。都市計画道路としてはこの道路の北側、多摩カントリークラブの方にあり、トンネルで建設される計画です。

長峰区間、多摩カントリークラブ前付近から

稲城市長峰杜の一番街の付近で再び広大な中央分離帯のある道路になります。この付近の幅員は58mでかなり広いものとなっています。この付近の標高は115mほどで、この先稲城駅付近の標高40mまで一気に下っていきます。眺めがよく都心の高層ビル群や、東京スカイツリー、東京タワーも見ることができます。

この写真の奥に遊歩道の「くじら橋」があります。その手前の交差点「稲城中央公園交差点」の手前の数十メートルは計画道路幅の半分が多摩ニュータウンの事業範囲ではなく、稲城方面行き道路は事業範囲から出ないように迂回する形でS字カーブを描いていましたが、2012年春ごろ(?)に直線的に直されています。

くじら橋から

くじら橋からの景色もこんな感じです。もともとここは稲城駅方面から続く竪谷戸があり、多摩ニュータウン開発で大きく盛土されています。もうそんな面影はありません。

竪谷戸大橋

竪谷戸大橋ではJR武蔵野線(貨物線)を越えます。この部分の武蔵野線は多摩ニュータウンの都市計画決定以前の1965年(昭和40年)6月に事業化し、1967年(昭和42年)10月にこの付近の工事に着手しています。

多摩ニュータウン開発以前はこの付近は谷戸であったため、当初の計画では武蔵野線は谷戸に盛土をして谷戸を横切る計画でした。その後、南多摩尾根幹線が計画決定され、武蔵野線は橋梁で谷戸を横切るように計画が変更されています。このときの計画では、南多摩尾根幹線は武蔵野線の橋梁のをくぐる予定でした。

竪谷戸大橋の下に武蔵野線の橋梁がある

その後、多摩ニュータウンの計画が進み向陽台地区の土量の調整を図る必要があることから、南多摩尾根幹線は武蔵野線のを跨ぐ計画に変更されています。

1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号の整備計画で武蔵野線(武蔵野南線)の旅客化が盛り込まれ、当時の公団も向陽台地区に新駅を設置する検討を行っています。この旅客化と尾根幹の変更などを契機に、武蔵野線に蓋をかけてトンネル化することも検討されましたが、旅客化の計画はなくなり、JRもすでに運行していた列車への影響などから蓋掛けを承諾せず、そのままの状態で現在に至っています。

この竪谷戸大橋2006年(平成18年)2月1日に交通開放されました。武蔵野線の下の部分が当時の地面レベルであり、周辺は相当盛土されているのがわかりますね。

川北下地区

竪谷戸大橋の東側から鶴川街道にかけての川北下地区は、2007年(平成19年)4月14日に交通開放されました。当初この地区は土地区画整理事業で整備する計画でしたが、その後道路は東京都が都道として整備しました。この開通により、鶴川街道から町田街道まで繋がることになりました。

稲城福祉センター前交差点

この交差点で鶴川街道にぶつかります。都市計画道路としての南多摩尾根幹線はこの先矢野口まで多摩川まで続きますが、愛称としての南多摩尾根幹線道路はここで終了し、町田方面から来た鶴川街道に名前を譲ります。

参考資料

  • おねかんニュース
  • 稲城市議会議会録
  • 多摩市議会議会録
  • 東京都議会議会録
  • 多摩ニュ-タウン開発計画1965報告書 昭和41年  日本住宅公団
  • 多摩ニュータウン尾根幹線道路基本設計調査報告書 昭和44年4月 日本住宅公団南多摩開発局
  • 多摩ニュータウン尾根幹線道路基本設計’77調査報告書 昭和52年2月 Y.C.E.設計事務所
  • 南多摩尾根幹線環境影響調査 報告書 平成5年7月 東京都多摩都市整備本部
  • 多摩ニュータウン諏訪・永山地区の活性化方策に関する基本構想検討調査報告書-尾根幹線道路の沿道地域を中心とする“都市更新”試案- 平成5年10月 住宅・都市整備公団南多摩開発局
  • 多摩市史 資料編4 平成10年 多摩市
  • 多摩ニュータウン開発事業誌-通史編- 平成18年3月 都市再生機構東日本支社多摩事業本部
  • 多摩ニュータウン開発事業誌-市域編-1 平成20年3月 都市再生機構東日本支社ニュータウン業務部
  • 多摩ニュータウン開発事業誌-市域編-2 平成20年3月 都市再生機構東日本支社ニュータウン業務部
  • 稲城市都市計画図 平成24年3月 稲城市
  • 南多摩尾根幹線の整備方針 平成27年2月 東京都都市整備局
  • 多摩市都市計画図 平成27年3月 多摩市
  • 多摩ニュータウン再生方針 平成28年3月 多摩市
  • 多摩ニュータウン地域再生ガイドライン 平成30年2月 東京都
  • 多摩の振興プラン 平成29年9月 東京都
  • 多摩都市計画道路3・1・6号南多摩尾根幹線(多摩市聖ヶ丘五丁目~南野三丁目間)建設事業 特例環境配慮書 平成29年10月 東京都
  • 都市計画変更素案及び特例環境配慮書のあらまし 多摩都市計画道路3・1・6号南多摩尾根幹線(多摩市聖ヶ丘五丁目~南野三丁目間)パンフレット 平成29年10月 東京都

2017年11月17日 公開
2018年5月17日 この間の情報追加
2018年11月30日 この間の情報追加
2020年5月25日 この間の情報を追加し一部削除
※記事内容は最終更新日に準じる

コメント

  1. 勝浦誉行 より:

    いつも尾根幹拡幅工事進捗状況など多摩ニュータウンの変貌を興味深く読んでおります。
    もし可能でしたら、ニュータウン地区の電線地中化計画や進捗状況なども取り上げていただけると嬉しいです。街の景観向上と災害時のアクセス確保の面から電線地中化は多摩ニュータウン再生に於いて重要な要素になったと思っております。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      ありがとうございます。

      そうですね、多摩ニュータウン通りや鎌倉街道、永山駅付近などで既に多くの箇所で地中化工事が進められているのは承知していますが、永山駅付近を除いてほぼ記録してこなかったので、この際まとめてみるのもいいですね。
      ニュータウン開発当初から地中化している地域(稲城・鑓水等)も多くあって、全部をまとめるのはすぐには難しいですが、現在工事中の箇所はまとめてみようと思います。しばらく時間がかかると思います。

      • 匿名 より:

        回答いただきありがとうございます。
        まとめるには時間を要すると思いますが、楽しみに待っております。

  2. sho より:

    古い記事ですが,今頃読んでいます.
    歴史がよく分かります.
    ありがとうございます.

    誤字が有りました.

    >旧道には米軍の由木通信所がありましたが、2016年7月1日に変換<返還>され、現在では通信設備だけが残されています。通信所が変化<返還>された現在となっては旧道はほとんど用なしの状態です。

    参考までに…

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