町田市の「ゆうき山バス停」・・・「ゆうき山」ってどこ?

東京都町田市に「ゆうき山」という名前のバス停があります。

住所で言えば、町田市金井ヶ丘一丁目とか、玉川学園四丁目とかそのあたり。UR藤の台団地の東側です。

神奈中バスの町41、町50、町54が停車します。

ところで、ゆうき山ってどこのことを言っているの? というのが、今回のテーマ。

答えは案外簡単に見つかりました。

「ゆうき山」の位置

北がおおむね上になるように回転しました。赤丸は筆者記入。

1972年に町田市史編纂委員会が発行した『明治時代町田市域各村縮図集』の金井村の図にその地名は書かれていました。

明治時代町田市域各村縮図集

町田市野津田町の石坂博義家が所蔵する「南多摩郡各町村縮図」のうち、町田市域の村について、1972年に町田市史編纂委員会がまとめたもの。
「南多摩郡各町村縮図」は、「明治十九年十一月 南多摩郡各町村縮図入 石坂能敏」と表紙のある紙袋に収められているもので、現在の町田市域以外にも八王子市や日野市の一部も収められているという。

上画像の赤丸で囲んだものがそれです。「雪山」と書かれています。これが「ゆうき山」の正体です。

図中の横に伸びる「木倉本谷ツ通きくらほんやとどおり」が現在の鶴川街道がある谷筋で、その南側にあることがわかります。※この付近では「谷ツ」を「やと」と読むことが多いです。「谷戸」とも表記します。

現在の地図で示すと、濃ピンク円で囲んだあたりです。この場所には「ゆうき山公園」という街区公園があるほどです。

明治39年の地形図を見てみると、この辺りは開発されていません。北側斜面で、2つほど尾根筋が飛び出した地形だったことがわかります。

ゆうき山公園

現在のゆうき山公園周辺は、1970年代後半に有楽土地(現:大成有楽不動産)が開発・販売した住宅地となっています。

北側斜面ではあるものの、当時の地形はほぼ残っていません。

ゆうき山公園には小さな山があるものの、これは築山かな。

雪山?ゆうき山?

ところで、金井村縮図にあるのは「雪山」。バス停の名前は「ゆうき山」。発音は似ているものの、表記は若干異なります。それと、「雪山」の由来は何なのでしょうか。これについては『町誌 金井』に記載がありました。

町誌 金井

金井町内会が金井町誌編纂委員会を発足させ、平成14年7月に発行した町誌。

『町誌 金井』の字名と由来を記載したページには、

雪山(ゆうき山)・・・勇気山とも呼ばれ、雪が春いつまでも残っていたことからこの名が付いた。

とあり、ゆうき山=雪山のことで、由来も上記通りです。北側斜面のため、日光が当たりにくく雪も解けにくかったんですかね。

ただ、「ゆうき山」と読みが書いてはありますが、この町誌を編集した当初の記載であり、古くから「ゆうき山」と呼んでいたのかは断定はできません。

表記のブレや発音のブレ、転化は地名ではよくあることです。

バス停はいつできた

さて、ゆうき山バス停はいつできたのでしょうか。

上の明治時代の地形図を見るとわかるように、明治時代には現在の鶴川街道のルートに主だった道路は存在しません。現在の鶴川街道にあたる道路(旧々道)は、下図赤色で示したように、ゆうき山バス停から尾根筋を通り、金井小学校の横から八幡神社に至るルートだったようです。

『鶴川村誌』によると、1937年頃に橙色で示した区間の道路改修が完了、戦後の1950年にはこの東側の区間の道路改修も完了し、現在の鶴川街道のルートがほぼ出来上がったそうです。(現在の幅員まで拡幅されるのはさらに後)

鶴川村誌

1958年1月15日に鶴川村役場が発行した村誌。
なお、鶴川村は1889年に金井村を含む8村が合併し成立。1958年2月1日に合併により町田市となっている。

旧々道とほぼ同じ場所にある現在の道路
尾根筋になっている
『町誌 金井』に掲載されている、左(または上)とほぼ同じ地点の写真。1978年撮影。
江戸時代に相模川で取れたアユを将軍家に献上するために青山まで運んだ道であるから、青山街道と言ったらしい。(ただし金井中附近を経由)

また、路線バスについては、鶴川駅と原町田を結ぶ金井線が1957年10月1日に開設されたそうです。
このとき、ゆうき山バス停のある道路(上図紫線)は開通しておらず、バス停も存在していなかったようです。なお、その後の1988年の住宅地図を見てもバス停は存在していません。

ゆうき山バス停前の道路(鶴川街道)

現在のゆうき山バス停前の道路(上図紫線)は、1996年に開通。このとき路線バスのルートも新道経由に変更され、ゆうき山バス停も開設されたようです。

なお、記事冒頭の縮図では、バス停付近の地名は「大ビャク」と記載されています。「ビャク」とは多摩地域周辺の方言で崖崩れのことをいい、昔大きな崖崩れがあったことから付いた地名だそうです。「金井大ビャク児童公園」という公園に地名が残されています。

バス停名であれ、公園名であれ、電柱の名前であれ、少しでも残されていると、古い地名を知るきっかけになります。

撮影日:2022年7月16日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。(0900)

コメント

  1. 長谷川 より:

    面白かったです、子供がイゼッタにゆうき山保育園に通っていましたのでとても興味深く読ませていただきました。

    • 欲しがりません、死ぬまでは より:

      あら、まるで私自分のサイトかと見紛うほどの思考が似ています。
      もしかしたら町田市立図書館でお会いしてるのかもしれませんね。さてゆうき山の南西に真之山という緑地があって是非調べていただけたらと思います

      • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

        本町田真之山緑地は、「守る会」の方がホームページで由来を記載されていますね。
        記事内「縮図」にも「眞之塚」と書いてあるようです。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      ありがとうございます。

  2. Royroy より:

    地名に崖だとか溜、沼などが入っている場合やはり古からの言い伝えによる命名が殆どなので、購入の際には気を付けるように・・・
    とは知り合いの不動産屋の見解。
    割りと身近に”びゃく”と、読み方発音は違えどこの種の地名が存在したことにビックリです。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      地名の見解については、今回のような「雪山」だったり「大ビャク」のような範囲の小さい地名や、小字程度の地名については概ね同意できます。しかし、現在住所として普通に使われている地名はその範囲が拡大されていたりするので、現在の住所だけを見てそれを言うのは違うんじゃないかなとは思います。

      公園やバス停の名前に古い地名を残してくれると、そういうのが辿れるきっかけになるのでいいなとは思いますが、現代ではビャクのように忌避されがちな名前を公園名にしているのはすごいなと思いました。

  3. ジョニー より:

    「なんでこんな名前なの?」っていうバス停って、ちょいちょいありますよね。わが千歳烏山でも、こちらで取り上げられている新道の近くに「榎」があります。地名だと上祖師谷 or 祖師谷ですが、昔の交差点にデカい榎があったのが由来だとか。そういう伝説みたいなものを伝える目的っていうのも面白いですね。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      地名ってそんな感じでつけられたものがほとんどなんだと思います。「タバコ屋の角を曲がって」なんて目印になるものがあったら、いつの間にか「タバコ」なんて地名になっているかもしれないですね。

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