横浜市緑区長津田町の大正時代の地形図にこんな記載があります。
冬にリベンジしました
↓
そこまでジャンプ
現在の横浜田園都市病院の南側に、トンネルの記号に見えるような記載です。
「いや、まさかこんなところに、しかも大正時代にトンネルがあるはずがないでしょ・・・」
「何かの記号がうまい具合に重なってトンネルの記号に見えるだけだ」
そんなことを思っていたら・・・
いまもあった。
マジか・・・。
現在の地理院地図を見るとトンネルなど記載はありません。
過去の地形図を見られる今昔マップで遡って見てみると、明治39年の地形図にはトンネルは存在せず、大正10年の地形図で誕生。昭和41年の地形図で記載は消えていました。
トンネルがあるのは写真のような2車線の道路です。交通量はそれほど多くありません。
この道路は、現在の国道246号が1960年代初頭に開通するまでの旧道でした。かつての街道筋にそって、少なくとも大正時代には存在したトンネルということになります。(明治時代の可能性もある)
改めてトンネルを見てみましょう。
トンネルの前面部分はコンクリートかモルタルのようなもので作られています。
上の部分にはトンネル名が書かれた銘板でも取り付けられていたのでしょうか。
トンネルの前には単管柵とガードフェンスでふさがれています。どちらも比較的最近設置したもののように見えます。
ガードフェンスのサイズは一般的なものだと1.8m×1.8mなので、トンネルの穴のサイズも直径1.8m程度に見えます。車は入れそうにありません。
トンネルの上には竹が生えています。
柵越しに中を覗いてみたかったものの、クモの巣が凄かったのと、私がビビりなので、これが限界でした。
なかは素掘りのように見えなくもありません。
さて、このトンネルは何なのか。
土地の所有者を調べるために登記を取ってみたところ、現在の土地の所有者は「横浜市」でした。2016年12月13日に、個人から売買しているようです。
となると、この単管柵等の設置者は横浜市であることは間違いなさそうです。
なぜ、横浜市がこの土地を買ったのか。2016年2月5日にこの付近一帯が「長津田町深田特別緑地保全地区」に指定されており、それに伴う買収だったようです。
で、このトンネルは何なのか。
1941年の空中写真を見て見ると、トンネルの先には民家のようなものが見えます。
この民家は割と最近の空中写真にも写っていますが、現在の空中写真には写っていません。
トンネルの東側に回り込んでみると、雑草が凄くてとてもじゃないけど入れそうにありません。
というか、市の土地も含まれているとはいえ、人の土地に勝手に入るのはよくないです。
もう、なんというか、草が凄い・・・
冬にリベンジが必要そうです。
で、で、このトンネルは何なのか。
わからん。
トンネルが貫通しているのか、奥で行き止まりになっているのかもわかりません。
南多摩地域を含めこの地域には、戦時中の戦車を隠すための地下壕がところどころに残っていたりしますが、大正時代の地図に記載があること、穴のサイズが大きくないこと、トンネルの入口が豪華なことを考慮すると、その可能性は低いのかなと思います。
大正時代の地図がどれほど正確かわかりませんが、貫通した記載であることを考えると、繋がっているトンネルだったのでしょう。
この民家の人が、遠回りせずショートカットして街道に出るためのトンネルだったのかなぁというのが、今のところの推測です。
情報求む!
冬にリベンジしました
雑草が枯れ、虫がいなくなったであろう3月。リベンジしました。
夏場はクモの巣がすこがったトンネル坑口もすっきりとしていて・・・
ん!?
向こうが見えるぞ!
坑口付近には土砂や枯れ草が堆積しているように見えましたが、はっきりと反対側の坑口が見えました。トンネルの長さは数十メートルくらいでしょうか。
トンネル内部は素掘りのように見え、上部は崩落し掛けているようにも見えます。ただ、フラッシュ焚いても暗くてよくわかりません。
ということで・・・
トンネルは繋がっていました!
ただ、誰が何のために、少なくとも大正時代に掘ったトンネルなのかは不明です。
私の推測では、トンネル先の谷戸の住民らが、大山街道へショートカットするために掘ったのではないかなぁといったところです。
以上!
撮影日:2021年8月25日、2022年3月5日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。(1032)
2021年9月9日 初稿公開
2022年3月6日 追記公開
コメント
ものすごい短いトンネルですねぇ
反対側からはちょっと迂回すれば道路に出れますから、
わざわざ公共用として作るわけはないですよね。
その先の神社の参道かとも思いましたが、ちょっとずれていますし・・
やはりこの民家のお父さんが、趣味で作ったプライベートトンネルな気がしますね
冬になったらドローンで捜索お願いします!
ドローンですか。考えてなかったです。
ドローンの規制区域からはギリギリ重なってないみたいで、市の土地とはいえ他人の土地なので飛ばしていいのかはかなりグレーですね。
プライベートトンネルにしては構えが立派なので、不思議です。当初は構えも素掘りだったんですかね。
農業用の水路トンネルかもですね。
地形的に水路を引っ張れるような場所に見えないんですよね。
Googleストリートビューで見てみましたら、フェンスなど置かれていないようでした。
そうです。そのあたりは調べ済みで、そのような理由から横浜市が設置したものだろうと推測しています。
たしかにちょっと迂回すれば街道に出られるかなと思いましたが、国土地理院の地図で地形を見たら、谷地形になっていて、街道筋の谷に出るには相当な大回りが必要みたいですね。高低差もだいたい10mの山を超えないとダメそうで、意外とこのお宅の生命線のトンネルだったかもですね。
もともと私有地ってことは個人の所有だったと思いますが、個人の家にトンネルとは…
この街道が切通しみたいになっていて、そこへのトンネルなんですよね。
「明治以前は切通しにはなっていなくて、勾配緩和のために切通しにした際に、補償としてトンネルを設置した」みたいな推測もできそうでしょうか。
市有地は完全に個人名で、抵当権等も設定されていないまっさらな土地でした。
https://www.google.co.jp/maps/@35.523596,139.4896454,3a,42.2y,307.15h,90.51t/data=!3m7!1e1!3m5!1sa129u8AXmcIgWR2f_aCtvg!2e0!5s20180201T000000!7i16384!8i8192?hl=ja
246側からGoogleストリートビューで見ると2018年2月までは家が建っていたようです。
そのあたりも調べ済みです。
初めてこの記事を読みました.
最初は道路を走っていて気が付いたのでしょうかね.
地図からは推定できそうもありません.
面白い物件です.
最初は地図を見ていて気付きました。以前この道路を通ったときには気付きもしませんでした。
地図から見付けたとはたいしたものです.
日ごろの訓練の積み重ねですね.
すばらしい!
「トンネルの向こう」に「ときめき」を感じました。
今日も一日楽しく過ごせそうです。ありがとうございました。
ありがとうございます。
こんにちは。
現在大正時代に生きた芥川龍之介のエッセイ的な『蜜柑』の小説を絵にする為色々図書館でも資料を集めています。
芥川氏はこの作品は実体験に基づき書かれてるそうで東京に住んでいた頃、横須賀で仕事をしている事があり、横須賀駅から乗り込んだ田舎の女の子が奉公へ向かう車内の様子を書いています。
トンネルを過ぎると窓の外に弟達が見送りをしており、姉が持てるだけの蜜柑を弟達に投げて別れを告げたシーンがタイトルになってるようです。またこの女の子を見かけた時の不愉快な描写から一転して子ども達の温かな時間に心が癒されたような内容です。
長く書いてしまいましたが、当時の汽車や鉄道の様子が分かず、困っておりした。イメージが湧かなかったのですが、きっと向こう側の光りの写真のようにトンネルを過ぎた時明るい良き時間があったのだと思い、思わずコメントさせて頂きました。
上手く描けないやもですが、この投稿は
私にとってはありがたい記事でした。
ありがとうございます。
チャレンジしてみたいと思います。
茨城県在住
つい先日、業務で横浜市の職員の方々と、このトンネルを調査しました。市の方のお話しでは、近隣の子供たちが、小学校に通う近道として、地主さんが掘ったものだそうで、私道として一般にも解放していたらしいです。
トンネルの旧大山街道側は、立派なコンクリートの坑門がありますが、246側は土の素堀りで、激しく崩落しています。内部も崩落で危険なため、おそらく埋められてしまう模様です。すぐ近くには防空壕とみられるトンネルもありました。
昔は今の御前田交差点北側付近に小学校があったようですね。近道できると言えばできそうですが、この時代に立派なトンネルを掘れたのは裕福な方だったのでしょうか。