京王相模原線の橋梁と道路が不一致な謎(未解決)

場所は稲城市

駒沢学園入口交差点のすぐそばに不思議な橋梁と道路があります。

これ。

何が不思議かというと・・・

道路がわざわざ橋梁のスパンの短い部分を通っているのです。

スパンの長い部分も1車線+歩道として使われてはいるものの、半分くらいは空き地になっています。

なぜスパンの長い部分に道路を通さなかったのか・・・ずっと疑問でした。いや、今も疑問です。未解決です。なかなか結論に達しないので、とりあえずブログに書いておこうと思いました。
この記事を読み進めても結論はありません。

最近の航空写真

2019年の航空写真を見ると、このようになっています。

少しわかりずらいので道路の輪郭(白)、京王相模原線(黒)、一部の橋脚(赤)、調整池(青)を加筆しました。

中央やや左側にある十字路が駒沢学園入口交差点です。

右側の駒沢学園から来た道路はカーブを繰り返しながら駒沢学園入口交差点まで至っています。この駒沢学園の道京王相模原線が交差する部分が今回テーマの場所です。

ちなみに、駒沢学園の道は校舎の手前あたりまでは公道となっていて、誰でも立ち入ることは可能です。まぁ、校舎に近づくにつれて怪しい人になりますけど、女子高・女子大なので男性だと特に。

駒沢学園と反対側の道路は多摩ニュータウンの長峰地区に至る道路となっています。

京王相模原線の建設

この地に京王相模原線が開通したのは1974年10月のことで、当時終点だった京王よみうりランド駅から京王多摩センター駅まで延伸開業しました。

1974年に近い1975年の航空写真は以下の通りです。

当時は南北に通る道路(鶴川街道)と、線路をくぐって南へ行く道路(現在の高勝寺坂通り)はあったようですが、駒沢学園の道路長峰地区に至る道路は建設されていないことがわかります。

影から推測すると橋脚は赤色で示した場所になり、高勝寺坂通りはスパン短い箇所を通り抜けていたようです。高勝寺坂通りはそこまで大きな道路ではないので、これは特に不思議なことではないように思えます。

長いスパンの場所には水路が通っていたように見えます。ただ、水路ごときで広いスパンにするとは思えません。

また、この部分は谷戸(谷筋が伸びている地形)になっていて、将来的な開発を見越して広い道路を建設できるようにスパンを長く取っていたものと推測できます。

駒沢学園の建設

駒沢学園がこの地に開校したのは1989年のこと。世田谷区弦巻から移転してきました。

1989年の航空写真を見ると、このときには駒沢学園の道は完成しています。こび時点で既に道路はスパンの短い部分を通っています。

長峰地区に至る道路は建設されていませんが、1990年代前半に完成し、現在の交差点形状になったようです。

環境影響評価書案の概要より(1985年9月)

駒沢学園建設当初の資料を探してみると、環境影響評価書とその案(1985年)にたどり着きました。

それによると、駒沢学園の道路調整池は駒沢学園建設によって新設されたことが明らかになりました。ただ、なぜその位置に道路が新設されたのかよくわかりません。

都市計画道路の存在

2020年の都市計画図

2021年1月現在、この場所に都市計画道路はありません。しかし、1997年から2009年までは都市計画道路が存在していました

1999年の都市計画図

駒沢学園入口交差点から南へ至る都市計画道路で、多摩3・4・32号清水谷戸小田良線といいました。

この都市計画道路は駒沢学園入口交差点から約100mのみ、駒沢学園の道路と重なって計画されていました。

坂浜平尾土地区画整理事業の環境影響評価書(1997年)より

この都市計画道路が1997年から2009年まで存在したのは、東京都が坂浜平尾土地区画整理事業をこの一帯で行う計画を進めていたことが理由です。

1997年に土地区画整理事業の都市計画を決定し、あわせて街路等も決定しました。しかし、1999年には都の財政再建・経済低迷・公的住宅建設の終了等から事業の凍結がなされ、2009年にこれらの都市計画道路は廃止・変更されました。

では都市計画道路の存在が理由なのかというと・・・

では、多摩3・4・32号清水谷戸小田良線という都市計画道路の存在がなぜスパンの長い部分に道路を通さなかったのか・・・ の答えかというと、そうではないように思えます。

これまでの年表を以下にまとめます。

1974年京王相模原線(京王よみうりランド駅~京王多摩センター駅間)で延伸開業
1985年駒沢学園建設の環境影響評価書案
1989年駒沢学園開校(駒沢学園の道路も完成)
1990年代前半長峰地区に至る道路が完成
1997年多摩3・4・32号清水谷戸小田良線の都市計画決定
坂浜平尾土地区画整理事業の都市計画決定
1999年坂浜平尾土地区画整理事業の凍結
2009年多摩3・4・32号清水谷戸小田良線の廃止

そう。駒沢学園の道路が完成したときには都市計画道路は存在していません。

都市計画道路は存在していないにも関わらず、わざわざスパンの短い部分に道路を通し、さらに道路をこの先に延伸しそうな直角カーブになっているのも不思議です。

1999年の都市計画図を参考に描いたもので、位置にはズレがあります。

また、1999年の都市計画図やその他当時の図を見る限りだと、多摩3・4・32号清水谷戸小田良線の線形は駒沢学園の道路と位置が若干異なっているように見えます。ただ、都市計画図は参考図であるほか縮尺も細かくないことから、都市計画図製作上のズレの可能性も否定はできません。

仮説

以上、色々疑問やわかったことをグダグダ書き並べましたが、なぜ広い部分に道路を通さなかったのか・・・以下のように仮説を立ててみました。

①用地買収が困難だった説
 用地買収が困難だったからやむなくスパンの短い部分を通した説。ただ、1989年の航空写真を見るとスパンが長い部分にも家屋はなさそうですし、これはどうかな・・・

②長峰側の用地買収が困難だった説
長峰地区に至る道路側の用地買収が困難だったため、綺麗な十字路にするためにスパンが短い部分を通した説。長峰地区に至る道路は既存家屋を避けるように建設されていますし、意外とありそう。(駒沢学園建設の時点で長峰地区の多摩ニュータウン開発は計画進行中)

③スパンが長い部分でもちょっと狭いので、スパンが短い部分含め2径間分を通した説
スパンが長い部分の径間長はGoogleMapsの簡易計測で16~17m程度。余裕をもって2車線の道路を建設できる長さなので、これもないかな・・・

④高勝寺坂通りが狭い部分を通っていたのでそっちに合わせた説
これもないだろうな・・・

京王相模原線建設当初の資料を当たったり、駒沢学園に聞けばわかりそうなものですが、相手が私企業だとなかなか調べにくく……稲城市に聞いたらわかるかな……。
1997年に決定された都市計画道路が駒沢学園の道と不一致だった理由も気になります。

以上、調査続行?

撮影日:2019年8月26日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

  1. sho より:

    「調査続行?」が楽しみです

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      ここ1年半くらいずっと調べていても正解にたどり着かないので、答えがにたどり着くかはわからないです・・・

  2. にゃー より:

    興味深い記事で楽しかったです
    私も5番目の仮説を考えました

    ⑤間違えちゃった

    今後の調査を楽しみにしています

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      ありがとうございます。
      意外と「特に考えてなかった」みたいなのもありそうですよね。
      そうだといっそう答えにたどり着くのが難しそうです。

  3. super より:

    こんばんは。
    この記事は面白かったです。
    私は最初の画面の左側の家を含めた土地買収が出来なかったのではないか?と想像しますね。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      ありがとうございます。
      調整池の形からしても、あそこの1件だけ取得できると道路を敷けたように見えるので、ちょっと不思議ですよね。当時は家がなかったようですし、そのあたりの個人事情はよくわからないです。
      個人的には1枚目写真の後ろ側の土地も関係しているんじゃないかなーと思っています。

      • super より:

        丁寧な返信、ありがとうございます。

        当時家が無くても立てる予定の土地を確保していた可能性もありますね。

        もうひとつ、学園側の道路の形状も気になります。

        直角に曲がっているのは、黄色い計画道路にT字路になるべく設計されたとして、
        その後の曲線も妙に無駄な気がします。

        もしかして、黄色い計画道路が完成した暁には、学園正面から最初の曲線を直進させて、
        もっと手前で交差させるつもりだったのかなぁ、とか。

        • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

          駒沢学園の方の道路ですが、
          Googleマップで簡易的に計測すると、直角カーブから駐車場前までの距離は300m、高低差は27mで縦断勾配は9%となります。

          この道路の設計速度はわかりませんが仮に40km/hだとすると、道路構造令上の縦断勾配は7%以下(ただし地形の状況上やむを得ない場合は10%以下)としなければならないとされています。
          ※30km/hだと8%以下(やむを得ない場合は11%以下)

          この無駄に曲線を描いているのは、造成上の発生土量を抑えつつ、距離を稼ぐためにこのようにしているのではないかなと想像しています。
          ただ、直角カーブのあとの1つ目のカーブがちょっと急な気はしますね。道路構造令上はギリギリ満たしていそうですが。

  4. 麻生人 より:

    ここ、あらためてgoogle map見たら確かに…
    いつもは中央公園の方から下って、真正面に見るから、信号機の柱のせいで気づかなかったです。
    調査結果を期待します!(笑)

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      私も一昨年まで特に違和感もなく通っていました。長峰の方から来ると意外となじんでいるんですよね(写真)。
      駒沢学園の道はどこまで行くんだろう……と気になって女子大の前まで行って戻ってきたときに、普段は見ない駒沢学園側から見ると違和感満載でした。

  5. ヨネッティーの近所 より:

    ここの道は、ワークマンへ行くときによく通ります。
    確かに変な交差点だなと思っておりましたが、謎の多い交差点だったとは、、
    割と車の出入りが多いため、交差点通過時は少し注意が必要でした。
    もし謎が解けたら、今後ここを通過するときにわくわくできそうです。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      駒沢学園側は2段階の停止線になっていたりして、普通の交差点に見えても結構変な交差点ですよね。

      千葉県の新鎌ヶ谷駅の近くにも似たようなものがあるらしいです。探すと似たような不一致はあちこちにあるかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました