尾根幹 長池公園脇の旧道

舛添都知事が視察をして整備すると言ってから、にわかに本格整備に向けて進み出した南多摩尾根幹線道路、通称「尾根幹」。

昨年末の優先整備路線(案)にも追加されるなど、4車線化に向けて現実味を帯びてきました。

未整備の尾根幹

そんな尾根幹、唐木田より西側区間は概ね工事が完了して完成形になっていますが、その区間に旧道が存在します。

尾根幹を相模原方面へ向かい、ちょうど八王子市に入ったあたりで始まります。ぐりーんうぉーくの西側、長池公園の近くと言えばいいでしょうか。

タマホームが見えたすぐ脇です。案内標識もないのでよくわかりにくいです。何気なく通りすぎてしまいがちです。

周辺の地図はこんな感じです。緑色で示した道路が旧道。このうねうね感が旧道っぽいです。

尾根幹はその名の通り、尾根道を通っているのですが、前述の通り旧道が市境なので、この旧道は自然地形を利用した道だと言えそうです。

旧道に入るとすぐに車止めが出現します。四輪車は物理的に入れるのはここまでになります。ただ、法的な規制はありません。 あと、右側の事業所駐車場にお邪魔したら四輪車も入れなくはないけどやめましょう。

一応旧道は現在の尾根幹から入ったところから始まりますが、このあたりは現在の尾根幹に垂直に接続するために付け替えているようなので、車止めのあたりからが実際の旧道かもしれません。

旧道に入って180°転回すると、現在の尾根幹を越える陸橋を渡る。

長池上小山田陸橋」といい、歩道なしの2車線くらいの広さです。現在の尾根幹と比べると狭いです。

できれば架橋年を知りたかったのですがよくわからないままです。道が必要になって「廃道」にするならばメンテナンス費用もかかるこの橋は必要ないわけで、廃道にせず、旧道としていまも残っているのです。

長池上小山田陸橋から稲城方面。この付近はこれで完成形。1枚目の未整備区間と比べると走りやすいです。

最近まで付近の制限速度が40km/hとあって取締ポイントでしたが、道路に見合ったように改善されました。いまは50km/hか60km/hかですが、道路中央の制限速度標識が上を向いているからまた変更があるのでしょうか。(多摩ニュータウン通りで50km/h表示が消されていて、そっちも変更があるのかも)

相模原方面。ここは尾根幹で唯一立体交差の交差点。こういう風に整備が進んだら走りやすいんだけどね…。

さて、話を旧道に戻す前に、多摩ニュータウン開発前の付近の道の状況を。地図に薄い赤で示したのが、開発前の道の位置です。

これらの道は自然地形を利用した古くからの道で、今ある道路もこれらのルートを概ね継承していることがわかります。古くは現在の長池公園の中を抜ける道があったようで、いまの園路とほぼ重なっています。

尾根幹から東側の町田市は多摩ニュータウン範囲外で、当時からほとんど変わっていません。

長池上小山田陸橋を渡り終えると若干の右カーブのち、左へ大きく曲がります。

道路の中央にはセンターラインの他、反射板まで残っていました。この道がいつまで本格的に使われていたのか知りたかったのですが、よくわからなかりませんでした。ただ、「多摩テックに行くのによく通った」というネットの書き込みも見られました。

左カーブから反対向きに見るとこんな感じ。S字カーブに近いかもしれません。

カーブ箇所の角には米軍の由木通信所があります。これがあるから廃道にできないのではないかと思えてきたり。

この写真を撮っているときに携帯電話が鳴り出して超ビビりました。

カーブから相模原方面へ。枯れ葉で覆われた路面に、人が一人歩ける程度隙間ができています。四輪車は物理的に通れないこの道も、一定数の通行はあるのか?

夏になると両脇から草が侵食するらしいから冬場の方が良さそうです。一時期は放置ごみが散乱していたようですが、それもなく綺麗です。

道路標識も現存。下の黄色い看板は古い道に多いんよね。

先に進むと竹が侵食。重みに耐えられなくなったのでしょうか。

そして進むと左カーブ。現在の尾根幹へと繋がります。前述の通り、ここのあたりから右の長池公園側に道があったのでしょうか。一応今でも園路はあります。

そして尾根幹に接続。入口にもありましたが、とても需要を感じられない案内標識。

昔は直進して道が続いていたようですが、その痕跡はありません。

相模原側から見た入口はこんな感じで、不法投棄禁止の看板が掲げられていました。

最後に長池上小山田陸橋。立派な橋です。

撮影日:2016年3月4日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

コメント

  1. タナカ より:

    長池上小山田陸橋の架橋工事中は、町田市小山に住んでいました。

    長池上小山田陸橋は、橋になる前に旧道が通っていた道筋と重なっています。架橋工事中は、由木通信所側に旧道と当時建設工事中の現道を結ぶ仮設道路を設けて、現道の下り線を対面通行で迂回していました。
    架橋完成後に現道が開通するまでは、長池上小山田陸橋を渡って通行していました。長池上小山田陸橋が利用されていたのは数年間でした。

    その後、旧道は普通に通行できていたのですが、不法投棄が多く、四輪車が通行できないように柵が設けられました。

    • yunomi-chawan yunomi-chawan より:

      尾根幹が対面通行で工事をしていた記憶はうっすらあるのですが、陸橋と旧道を通行した記憶は残っていません。たぶんその当時は通ったことないのだと思います。

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