西国立駅にあった立川機関区の痕跡を探る

前の記事で、南武線の西国立駅と立川駅の間に「東立川駅(停留場)」があったことを書きました。

今はなき東立川駅を探る
東立川駅(停留所) とは 古い地形図を見ていると、立川駅の東側に「東立川駅」なるものがあることがわかります。調べていると、東立川駅は第二次世界大戦まであったようです。 南武線は南武鉄道と言う私鉄が昭和4年に敷設しました。その後、昭和19年に...

そこでも書きましたが、南武線は昭和4年に立川まで全通。その後まもなく昭和19年4月1日に国鉄へと移管されました。移管と同時に東立川駅は廃止。これは戦争にも関係しています。

そのあと、1ヶ月後の5月には西国立駅に「立川機関区」という機関車の車庫が置かれていたようです。
機関区は昭和59年(1984年)に廃止されていて、いまはないが、その痕跡があるか…というのが、今日の話題。

西国立駅駅舎

小さな駅です。
西国立と、「国立」を名乗っておきながら、立川市にあるというネーミング的には不思議な駅。
同様の事例は小田急線の厚木駅とかにもあって、あそこは海老名市なんですよね。本厚木駅が本当の厚木市だったり。厚木に至っては、米軍基地の厚木基地も厚木市に無いですからね。

この駅も数年前にみどりの窓口が閉鎖され、早朝は駅員がいません。立川駅からもそんなに離れてないのに、立川へ向かうためにこの駅を利用する人も多いですね。駅前は大した広場もありません。

一見すると、こんなところに、機関区があったのか。と、不思議に思う駅です。というより、機関区があったなんて、たぶん気づきません。

西国立駅の北側

この写真の角度でいうと、ちょうど正面。線路の東側(左側)に機関区があったらしいのです。

いまは大きなマンションが建っていますが、ちょうどそこらしいです。

調べると、ネット上には当時の様子を撮った写真がたくさん掲載されていました。機関車は20両程度の小さな機関区だったようです。駅のホームから機関区がよく見えたそうで、鉄道好きには人気だったそうな。

この遊歩道の部分も、昔は線路があったようなのですが、ここは痕跡が見つからず。

西国立駅の北側の踏切から

写真の左側に機関区がありました
今もその名残なのか、駅の西側(右側)に側線があり、保線用車両が止まってることがあります。側線の線路は横取り分岐器ですし、出発信号機もないので、保線用車両の留置にしか使わないのでしょう。

踏切からの写真の左側にあった構造物です。今回見つけた、それらしい遺構の唯一のものです。
車止めでしょうか。
立川機関区で画像検索をすると、この車止めが現役だった当時の写真が出てくるので、確かでしょう。
いまは、明らかに使われていない場所に置かれています。

いまは2面2線のホームですが、機関区があった頃は、川崎方面は島式ホームで3番線まであったようです。
写真でいうと右側にホームがあったようです。

ネットの写真で見る限りは、今のホームは長くはなったものの、広さはほとんど変わってないみたいです。

西国立駅のホームの屋根は数年前に建て直しましたが、建て直す前は中央で折れた屋根で、当時を物語るかのようだったです。その遺構もいまはなく。

昔ホームがあった側のホーム先端が丸みを帯びてる!とか、無理矢理な見つけとか。
実際関係あるのかわかりません。

ほかにもマンションの回りに「工」の杭がないかとか見ていたのですが、見つからず。車止めだけになってしまいました。

おまけ

「移転しました感」満載の案内看板。
市役所も移転
簡易裁判所も移転(八王子の地裁支部も移転し合流)
労働基準監督所もハローワークも移転したなぁ。
アミュー立川は名前が変わってたましんRISURUホールになったし。

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