調布保谷線(武蔵境通り) 三鷹・武蔵野区間の4車線化へラストスパート

東京都の多摩南北道路主要5路線の1つ「調布保谷線」ですが、三鷹・武蔵野区間で4車線化に向けてラストスパートに向かっています。

調布市から西東京市保谷地区まで、西東京市内の区間が2015年8月2日に開通したことにより全線開通した都市計画道路調布保谷線は一部を除き幅員36m・4車線で計画されていますが、進捗状況などから西東京市と三鷹市、武蔵野市の一部で暫定2車線となっていました。

このうち、三鷹・武蔵野区間では4車線化にむけてラストスパートを迎えています。

事業概要

この道路(区間)は歩道などを除きおおむね完成しています。

調布保谷線は多摩川から埼玉県境に至る一連の都市計画道路です。東京都の多摩南北道路主要5路線に位置付けられています。このうち、上記図で示した三鷹3・2・6号調布保谷線武蔵野3・3・6号調布保谷線の区間では、三鷹・武蔵野区間として事業が行われています。

施行者は東京都2002年7月3日に事業認可を受けています。

事業延長は約3,070m、幅員36mで4車線です。両側に幅員10mの環境施設帯が設けられているのが特徴です。

施行者東京都
延長約3,070m
幅員36m
事業施行期間2002年7月3日~2023年3月31日
2020年7月8日現在

この枠内の情報は随時更新されます。記事本文の情報と枠内の情報に時間的差異が生じる場合があります。

現在の様子

暫定2車線の道路

車道

上連雀通り北交差点野崎八幡前交差点までの区間では、大部分で車道の工事は終了していますが、このように置ガードレールによって2車線(片側1車線)になっています。

塚交差点

塚交差点の南側

連雀通り134と交わる塚交差点では、一部で進捗の遅れが見られていましたが、2017年の末ごろに大きく変化がありました。

現在は歩道を含む環境施設帯の整備も進み、車道も舗装が完了しています。

幅36mの道路とのことで、非常にゆとりのある道路となっています。現在建設されている府中所沢線の国分寺・小平区間なども同様の構造になります。

上連雀浄水所

歩道にはみ出す浄水所施設

このように歩道に浄水所施設が一部はみ出しています。それほど影響はなさそうですが、これで完成でしょうか?

歩道に飛び出す民家は収用かけてたりするのにこれはありなのか…みたいなものはありますね。

野崎八幡前

野崎八幡前交差点

東八道路14と交わる野崎八幡前交差点でも大きな変化がありました。

交差点の角にある洋服の青山三鷹野崎店は2018年7月1日をもって閉店しました。

2017年3月6日付の東京都公報にて収用の裁決手続きの開始が決定したと公告がありました。

交差点北側

以下、おまけ

電気通信大学西側の拡幅も待たれる

電通大西側

中央自動車道E20旧甲州街道119の約980mは幅員18m~22mで計画され、2車線で供用されています。この北側の区間のおよそ半分の幅という訳です。

2016年(平成28年)3月に公表されたいわゆる「第四次事業化計画」によると、「計画内容再検討路線」に選定され、「将来、当該区間がボトルネックとなることが想定されることから、路線として車線数の整合を図る必要があります。」とされています。

甲州街道の交差点を先頭に詰まることも多いですし、4車線化して欲しいなと思うところです。拡幅するにしても手続きもろもろで20年くらいかかりそうな気がしますが。

石原交番前交差点がやっと改称される

電気通信大学前交番

武蔵境通り12甲州街道20が交わる交差点角には「下石原交番」がありましたが、電気通信大学100周年記念キャンパスの建設などに伴い、2017年2月22日16時に道路を挟んだ反対側に移転しました。

移転に伴い「電気通信大学前交番」と改称されました。移転後の住所が富士見町だからかと思われます。が、移転前も住所は小島町でした。下石原は交差点西側の住所。

ちなみに告示をもって改称・改正されたのは2018年1月5日警視庁告示第1号のことでした。

2017年4月撮影

交番が面する交差点は下石原交番前Shimoishiwara Kobanと名付けられ親しまれてきました。

交番の移転・改称後もしばらく交差点の名称は変更されることはありませんでした。

2018年7月6日撮影

それが1年以上経ちようやく交差点名も改称されました。ネットの書き込みによると2018年6月21日のことのようです。

改称後の名称は下石原Shimoishiwaraで、「電気通信大学前交番前」にはなりませんでした。

国道の交差点名称は短いものが多いように感じています。また、「〇〇前〇〇前」になるのを避けたのでしょうか?

持論:調布保谷線の名称は統一できないものか

 調布保谷線というのは調布~保谷に至る都市計画道路の名称です。正式には「調布都市計画道路3・2・6号調布保谷線」のように最初に都市計画区域名称と番号が含まれます。

 このブログで調布保谷線を紹介したことはなかったかと思いますが、私個人としてよく通る道で、かねてからこの道路を「調布保谷線」と呼んでいます。しかし、この道路には都市計画道路名称とは別に正式に通称道路名が決定しています。なぜ私はそれを呼ばないのか…わかりにくいと思っているからです。

 鶴川街道~塚が武蔵境通り、塚~関前三丁目が新武蔵境通り、関前三丁目~埼玉県境が伏見通りです。いまは1本道ですが、昔は断続的に分断された道路で、その時に名付けられた名称もあります。たとえば武蔵境通りは塚で逸れてカクカクっと曲がって北進する道路です。

 昔からそうやって親しんでいる方ならいいのだと思いますが、1本道なのに1本道を一言で表す名称でないのはわかりにくいものです。

 個人的には新武蔵境通りがどうも気にくわないものです。塚~埼玉県境が伏見通りで、武蔵境通りと伏見通りの2つでもよかったのでは、とも。

 これを言うと、「世田谷通り~津久井道~鶴川街道~芝溝街道」と名称が変わる道路、「川崎市は府中街道、都内は川崎街道」府中街道は途中から出現する道路、「府中街道~新府中街道~鎌倉街道~多摩ニュータウン通り」・・・とキリがないのかもしれませんし、歴史的経緯で今は途中で屈折している道路もたくさんありますから、調布保谷線だけをどうこう言うのはいけないのかもしれないです。また、鶴川街道や南多摩尾根幹線はどうするのかという問題も出てきそうです。

 私がどうも「調布保谷線」という名称に慣れてしまっているというのもあります。決定されている道路通称名に慣れるまで、私は「調布保谷線」と言い続けるのかもしれません。

撮影日:2018年7月6日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。

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