小平市の鈴木町一丁目、花小金井駅から西へ約1.4km、新小金井街道のある付近に、東西方向に長細い空き地が存在しています。
この空き地が何なのかというお話です。
昔調べて放置していたのですが、コメントをいただいたので記事にしました。
何なのか
ズバリ、答えを言うと
高圧送電線が通っていたから
です。
古い地形図を見てみても分かります。
送電線を示す地図記号が横切っていることがわかります。
この送電線は、現在のJR東日本の武蔵境交流変電所から、同じくJR東日本の立川変電所を結んでいた送電線のようです。詳しい廃止時期まではわかりませんでしたが、1990年頃に航空写真からも消えているのでそのころかもしれません。
JR東日本、というか国鉄は自前で何割かの電気を賄っており、信濃川発電所と川崎発電所の電気を東京の鉄道に運ぶ起点となったのが武蔵境交流変電所のようです。そこから中央線などに電気を流す立川変電所までを結んでいたのがこの送電線だったようです。現在はJR中央線に沿ってケーブルで結ばれているとか。
鉄道の敷地の境界鋲には「工」の文字が掘られたコンクリート杭が使われていますが、この送電鉄塔跡地の一部にそれが残されているようです。探してみると面白いかもしれませんね。
現地は綺麗に整地されています。幅は12mくらいです。
そして、私有地であることを示す看板が複数設置されています。
この土地の一部について登記を見てみたところ、この周辺が分譲されたときの町内の共有の土地のようで、「持分125分の1」みたいなのが連続しています。
一応可能性を消しておく
とはいえ、「道路の計画があったんじゃないの?」という可能性を消しておきましょう。
現在の都市計画図を見て見ると、この部分に都市計画道路は存在していません。
ちなみに、すぐ近くの北側にあるのは小平3・3・3号新五日市街道線です。
小平市の都市計画道路は次のような変遷を辿っています。
- 1960年12月19日東村山2・1・1号久留米東村山線のみ決定
現在の新青梅街道。東村山浄水場建設に伴う送水管埋立用地に先行して決定された。
- 1962年7月26日現在の東村山市、小平市、清瀬市、東久留米市の範囲で、東村山都市計画道路を一括決定。
1960年に決定された「東村山2・1・1号久留米東村山線」は廃止扱いとなるが、同じ位置+αに「東村山2・1・1号新青梅街道線」として再度決定。
- 1963年8月3日1962年7月26日に決定された東村山都市計画道路のうち、小平市域の部分をすべて廃止し、同じ位置に小平都市計画道路として再度決定。
旧都市計画法では、市制を施行すると都市計画区域も分離独立してた。この決定も小平市制施行に伴うもの。
- 以降各都市計画道路において種々の変更等
なお、1989年に、東京都の区部を除く全域で名称の一括変更があった。
1962年に東村山都市計画道路として決定された時の図面を見ると、現在とほとんど同じ位置に都市計画道路が決定されています。中央で東西に横切るのは、現在の小平3・3・3号新五日市街道線にあたる路線です。
すなわち、この当時から細長い空き地には都市計画道路は存在していません。
この図面を見ても、送電線が書かれているのがわかりますね。
これが小平市制施行に伴う小平都市計画道路として決定し直したときの図面です。図面の境目なのでわかりにくいですが、「1・3・1」と書かれた都市計画道路は現在と変わっていません。
※1989年に番号の付り方を一斉に変更しており、「1・3・1」は現在の「3・3・3」。
この、「1・3・1」、すなわち現在の小平3・3・3号新五日市街道線は、このあと起点の変更や線形の一部変更といった割と軽微な変更を行っていますが、路線の位置が大きく変わることはありません。
ということで、これまで細長い空き地に都市計画道路が決定されたことはありません。よって、あの細長い空き地は、かつて送電線があったためです。
コメント
よく傍を通っていたのに、ついこの間まで気が付かなかった空き地の事が記事になっていたので、興味深く拝見しました。
空き地1つをとっても色んな事があるのだと知りました。
ありがとうございました。
土地の形や形質は、何年経っても残っているのが面白いですよね。
個人的には、武蔵境と立川を結ぶ送電線が、なぜこんなに北側に迂回したルートになっていたのかは気になっています。当時から市街化が進んでいた中央線ぞいを避け、人家もまばらだったこの地域を通したのか、別の行き先があったのか、そのあたりは疑問です。
この空き地気になっていました。航空写真見ると明らかに不自然で。かといって新五日市街道にしても位置が微妙だし、看板にも何もないしハテと思ってたのですが、
ようやく謎がとけました。
ありがとうございました。
高圧線の下に人家を持って来ないようにするのはよくあることですが、ここまで綺麗に空き地にしているのはあまりないかもしれませんね。人家の庭部分に送電線を通したり、自然な形で道路を配置するのはよくあると思います。当時送電線の高さが低かった(?)ことも影響しているかもしれません。
1967年生まれの地元出身です。小平第三中学校の校庭の真上を高圧線が通ってましたね。「雑木林に鉄塔に 明日の文化の 若い時代の 夢がある ~」と同校の校歌にもありました(今の校歌は分かりませんが)。国鉄の送電線だということは、鉄塔にも書いてありましたね。鉄塔がなくなったのは1990年頃です。それからしばらくして、今でもある三中の東を北西から南東に通る別の高圧線の鉄塔がかさ上げされたのをおぼえています。鈴の木台団地の中のグリーンベルトで子供の頃、よく遊びました。鉄塔のまわりにも1980年頃まで、囲いはなかったです。
当時のお話ありがとうございます。
小平第三中学校の校歌については調べてみます。
山中の東側には岡部境線という別のJRの送電線が通っていて、1939年に建設されたようです。老朽化で建て替えがすすんでいますね。さらに東側には東京電力の中富線がありますが、こちらは1990年頃に増強されているようです。
小平市役所に問い合わせました。
校歌の2番にこんな歌詞がありました。
けやき若葉に鉄塔に
明日の文化の
若い時代の夢がわく
たゆみなく進む町
こころよくそろう意気
第三中学自立を誓う
はなの若人われらの誇り
鉄塔はいまも歌詞の中に残っているようですね。
いまも生徒は「なぜここで鉄塔が出てくるのか」と疑問に思っているかもしれませんね。
大変勉強になりました。
今から40数年前、毎日、この高圧線の下の空き地を歩いて小平市立第三中学校に通学していました。『ああ、高圧線の下だから家が建てられないんだな』と当時、思ったものです。ところどころに芝生やら雑草やらが生えていて、物置が置いてあったりタイヤが捨ててあったり。そう振り返ると、今はキレイになったなぁと、記事を拝見して思いました。実家付近の様子を上げていただきありがとうございます。
昔はそういう状態のこともあったのですね。
今はかなり綺麗に手入れがされているなという印象を受けました。