鉄道唱歌の旅、続きです。
参考
21番 駿州一の大都会・・・
駿州一の大都会 静岡いで阿部川を わたればここぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞の道
ご存知、静岡駅です。県庁もある静岡県の中心です。
さてここを出てさらに西へ進むのですが、ちょっと鉄路から離れます。
歌詞中に出てくる「宇津の谷」は宇津ノ谷峠のこと。現在も国道1号が通る峠道です。
鉄道の東海道本線は海沿いを走っており、宇津ノ谷峠は走っていません。昔は宇津ノ谷峠に鉄道があったというわけでもなく、どういうわけか、鉄道唱歌は少し離れた場所を歌っています。
ということで、静岡駅から路線バスに乗り込み宇津ノ谷峠を目指します。
安倍川を過ぎると徐々に標高を上げていきます。
この集落は東海道の丸子宿と岡部宿の間にあり、間の宿として江戸時代から開けていたようです。現代でもなお景観にも配慮されているようで、素晴らしい場所でした。
宇津ノ谷の集落から少し標高を上げるとあるのが、このトンネルです。これこそが歌詞中で「洞の道」として歌われている場所です。明治時代に掘られたトンネルで、国の登録有形文化財にもなっています。
ただ、この明治時代のトンネルは1904年に完成した2代目のトンネルで、初代のトンネルは1876年に完成しほぼ同じ位置にあったそうですが、1898年に火災によって崩落しています。
ところで鉄道唱歌の発表は1900年。鉄道唱歌の歌詞のトンネルは、初代と2代目、どちらのことを歌っているのでしょうか。
そんな宇津ノ谷ですが、平安時代から道があったようで、現在の国道1号までずっとここを通り抜けています。
明治のトンネルは自動車交通に耐えられなくなり、やや下に新しくトンネルを建設(大正のトンネル)。
その大正のトンネルのトンネルも手狭になり、昭和時代に現在の国道1号の上り線にあたるトンネルを建設(昭和のトンネル)。
その後、国道1号の4車線化に伴い、昭和のトンネルの横に平成のトンネルを建設し現在に至っています。
令和のトンネルも掘らなきゃ。
22番 鞘より抜けておのづから・・・
鞘より抜けておのづから 草なぎはらひし御剣の 御威は千代に燃ゆる火の 焼津の原はここなれや
焼津神社に祀られているそうですが、神社は割愛。
23番 春さく花の藤枝も・・・
春さく花の藤枝も すぎて島田の大井川 むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと
24番 いつしか又も暗やみとなる・・・
いつしか又も暗となる 世界は夜かトンネルか 小夜の中山夜泣石 問えども知らぬよその空
大井川を渡ると金谷駅に到着。金谷駅からすぐトンネルになります。そこまで長いトンネルというわけでもなく、連続するというわけでもありません。
このトンネルの山伝いに約2km行った場所にあるのが「夜泣石」です。しっかりと石があるそうです。
小夜の中山には、「夜泣き石」伝説が残されています。
小夜の中山 – 掛川市
その昔、久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されてしまいました。お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。泣き声に気づいたお寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。そしてその子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
こんな伝説が残っているそうですが、駅からはちょっと遠く、バスなどの交通機関もなさそうなので行くのは諦めました。
25番 掛川袋井中泉・・・
掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて さかまき来る天竜の 川瀬の波に雪ぞちる
26番 この水上にありと聞く・・・
この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸橋を わたるは神か里人か
天竜川を上流へ行くとあるのが諏訪湖。諏訪湖は冬になると全面氷結し、「御神渡り」が出現するのは有名かもしれません。
ただ、ここからは遠すぎる!割愛!
2022年7月4日追記
行ったで。真夏だけど。
撮影日:2021年10月16日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
コメント
>令和のトンネルも掘らなきゃ。
あとは,高速道路しかありませんね…(^_^)
新東名もできてしまったので、掘る理由が見つからないんですよね・・・