あきる野市で事業が行われている都道あきる野羽村線(平沢・二宮地区)及び(高瀬地区)の進捗状況を見てきました。五日市街道~永田橋通り間で、草花大橋を含む区間です。
事業概要
東京都道250号あきる野羽村線は、あきる野市を起点とし、羽村市を終点とする延長約2217m(H26)の東京都道です。
このうち、上記に示した五日市街道~永田橋通り間では、道路を新設・拡幅、橋梁を整備する事業が行われています。
施行者 | 東京都 | |
延長 | 平沢・二宮地区 | 約400m |
高瀬地区 | 約760m | |
2023年4月8日現在 ※西多摩建設事務所事業概要による |
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写真等
撮影位置はこの通りです。
この交差点から右側が事業区間です。
五日市街道では別途拡幅事業が行われており、この交差点付近も用地買収が行われているほか、電柱も引っ込んだ位置に移設されています。
この交差点の信号機自体はだいぶ前から設置されたまま稼働していないものですが、ここ最近、灯器を覆っているカバーが新しいものに交換されたようです。
この先が平沢・二宮地区です。1つ目の交差点までは供用済みです。
幅員が22mで2車線と広く、沿道は農地のみなため路上駐車が多い道路になってしまっているようです。近辺は市街化調整区域です。
この先、永田橋通りの南側まで道路は完成していますが、ほとんどの区間で歩道のみの供用または暫定開放となっています。
この区間は両側歩道のみの開放となっています。車道のバリケードはボロボロで、ろくに管理されていなさそうです。
平井川を横断する草花大橋の南側の交差点にも信号機が設置済みです。
信号機の裏側の銘板を見たところ、2013年2月製造の信号機のようです。それくらいから設置されたまま放置されているようです。
草花大橋の区間は、西側の歩道のみ、歩行者のみ通行が可能です。自転車も通行不可となっています。
さすがに自転車くらいは通行させてあげてもいい気がするんですが。
車道部分はBバリが隙間なく設置してあり、この区間は一歩たりとも車道に踏み込ませたくないようです。
こんな立派な橋です。
ちょっともったいないというかなんというか。
ここから先は暫定開放区間が続きます。
両側歩道の開放及び車道を幅を狭めた形での開放となっています。
公民館通りとの交差点には横断用の信号機が設置してありますが、こちらも供用はされていません。
いずみ通りまでの区間は、引き続き暫定開放となっています。
区画線も引いてあって信号機も設置済みってことは、直前まで開放する気でいたんですかねぇ。
この先は現道(いずみ通り)を拡幅する区間ですが、この部分の拡幅が進んでいません。
拡幅が完了していないのに道路を開放すると交通量が増えて危ないから開放できないという理由です。それ自体はわかるんですが、よっぽど手強いんですかね。
永田橋通りの南側では、用地の取得がされ、砕石による暫定歩道が整備されていました。
ここ1年ほどの間の用地取得のようです。
この区間は写真左側への拡幅も行われるはずですが、一部を除きそれも未了です。
永田橋通りと交わる氷沢橋交差点です。
用地取得が進んだことで開放に向けて動き出すのか、さらなる用地取得が必要なのか、どうなることでしょうか。
撮影日:2023年3月4日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。(0180)
コメント
交通開放される頃には犬のおしっこで信号中が折れてしまうのではないか?と勿体ない気がします。
施工できれば解放が可能な他の工事に予算を回せば良いのに・・・
(いつも同じようなコメントで申し訳ありません)
税金の無駄遣いもいい所。計画がなさ過ぎるしできた部分は痛んできているし駐車場になってる所もあります。せめて通れる部分だけでも通してくれれば多少近道になります。
減価償却的に鋼管柱の耐用年数は50年だったはずなので、そんなに早く折れてしまわれては困るのですが、ただ酸性の強い環境だとそれ以上に短くなりますし、東京都(警視庁)の場合はこれよりはるかに早いペースで更新をしているので、ここまでくると使わずして交換ってことにもなりかねないなとは思います。
あとはたぶんですが、信号機を設置した時点では交通開放させるつもりでいたんじゃないですかね。ここまで完成形で放置するのは、さすがの東京都でもここくらいだと思います。
これはあくまでも想像ですが、例えば学校が反対したとか。(放射第35号線も学校関連で遅れたみたいな話も聞いたことがあります)
あきる野市に住んでいます。
未開通部分の信号カバーがボロボロになっているのを見て、せっかく大金をかけて作ったのに、開通する時にはまた工事で工事で大金を使うんだろうなと市民としては腹が立ちます。完成したところからなんで使わないんだと思います。交通量が増えると言っても、平井川南通りの交通量もそんなに多いわけではないので、開通したところでそんなに影響無さそうですけど、工事途中で放置されてる場所を早く解消して欲しいです。また読ませていただきます!頑張ってください(^^)
大通りと大通りの間が完成しないと開通させないのは一般的なことです。中途半端に途中まで開通させると、これまで問題がなかったような生活道路に交通が流入し、生活道路の安全性が損なわれる可能性があるためです。
大きい径の水道管が急に狭くなると、あふれた水は別の場所を流れるのと同じです。
ただし、地域の特性や道路状況によりその判断はまちまちです。
この路線に関しては、信号機の設置や、舗装の表層施工をまだやる必要がなかったなど、予算執行の時期を間違えている感じはします。
橋がかかる前から、地元の小学生の通学路ということでPTAとして話を聞いていましたが、工事は昭和40年代の計画のまま進めたと聞いて呆れていました。
使う当てのない道路工事の予算を通す国なんですね…と思ってからすでに10年は過ぎています。
説明を受けた時は八王子に抜ける大きな通りを作るということでしたが、すでに住宅がたくさんあり難しいのにどうするのだろうと思っていましたが、案の定橋をかけるだけで終わっていることに憤りを感じています。
その後どうするのか、ずっと気になっています。
この道路の都市計画道路、秋多3・3・9号小川草花線は1969年に都市計画決定されています。「昭和40年代の計画のまま」というのはこのことを言っているのだと思いますが、多摩地域のほとんどの都市計画道路はこのくらいの時期に決定されたもので、現在整備あるいは拡幅中の都市計画道路はこれに基づいているものがほとんどです。
したがって、この道路だけおかしいという話では全くないと思います。
以下は憶測も含みます。
1990年代、東京都はあきる野市及びその北側で、秋留台地域総合整備事業というものを計画中でした。この当時は、八王子・立川・青梅・町田・多摩ニュータウンを「多摩の『心』」として位置付け、これらを特に力を入れている時期でした。
また、当時は国の施策として業務核都市というものも位置付けられており、かつ都心部の地価の上昇や、圏央道の整備もあいまって開発機運が高まっていた時期でもあります。
しかし、バブルの崩壊や、都の財政悪化もあり、秋留台地域の開発は頓挫しています。
この道路は、秋留台地域の東側を南北方向につなぐ道路として位置付けられていました。1975年に整備された羽村大橋から徐々に南側へ道路の整備が進み、1990年代(?)にこの区間も事業着手。2008年には草花通り以南が開通と、時系列で見ると、この道路の整備が始まったのは自然とも思えます。
ちなみに、「東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)」では、睦橋通り以南の区間については、八王子市側との計画の不整合を理由に、計画内容再検討路線に位置付けられているほか、その計画では、五日市街道以南への延伸は事業化予定に入っていません。