鉄道唱歌の旅、続きです。
明治時代に作られた「鉄道唱歌」で歌われている場所に行ってみるという旅です。
今回は山科から始まる京都。9番にわたって京都を歌っています。流石京都ですね。
45番 大石良雄が山科の・・・
大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山
大津駅(1900年当時は未開業)から京都方面は、現在の東海道本線とは違い、南側のルートを通っていました。山科駅の場所も現在とは異なっていたほか、伏見稲荷大社付近は現在のJR奈良線のルートとなっていました。
すなわち、鉄道唱歌が発表された1900年当時はこの神社もなく、歌詞にもあるように、本当に何もなかったようです。
46番 東寺の塔を左にて・・・
東寺の塔を左にて とまれば七條ステーション 京都〱と呼びたつる 駅夫の声も勇ましや
最初は東寺。東海道本線が旧ルートだった時代は、当時を左に見ながらカーブして京都駅に到着していたようですが、現在は京都駅を出発した後に東寺が見えます。当時は高い建物もなかったはずですので、目立つ存在でもあったんでしょうね。
47番 ここは桓武のみかどより・・・
ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地 今も雲居の空たかく あふぐ清涼紫宸殿
桓武天皇が平安京に移してからずっと都だった京都。
京都御所内に歌詞にある紫宸殿があります。
48番 東に立てる東山・・・
東に立てる東山 西に聳ゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川
京都の東側を流れる「かもがわ」。
賀茂大橋より下流が鴨川、上流が賀茂川とするのが通例のようですが、河川法的にはすべて鴨川が正解のようです。
地名表記にブレがあるのはよくあることです。
49番 祇園清水智恩院・・・
祇園清水智恩院 吉田黒谷真如堂 ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮
吉田(吉田神社?)、黒谷(金戒光明寺?)、真如堂(真正極楽寺?)はすみません、時間がなかったため割愛しました。
50番 夏は納涼の四條橋・・・
夏は納涼の四條橋 冬は雪見の銀閣寺 桜は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山
高雄山は流石に遠いので割愛です。
51番 琵琶湖を引きて通したる・・
琵琶湖を引きて通したる 疎水の工事は南禅寺 岩切り抜きて舟をやる 智識の進歩も見られたり
南禅寺を通り抜けている琵琶湖疏水。いや・・・素晴らしい構造物です。寺よりこれを見に来ている人の方が多い気がしましたね。
52番 神社仏閣山水の・・・
神社佛閣山水の 外に京都の物産は 西陣織の綾錦 友禪染の花もみぢ
お土産売り場で西陣織など見つけたのですが・・・ブログのために買うのにはちと高い・・・ので写真無しです。
53番 扇おしろい京都紅・・・
扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず みやげを提げていざ立たん あとに名残は残れども
私は現在の京都土産の定番、生八つ橋を買って帰りました。いまでこそ保存技術が発達して生菓子類も多くお土産として売られていますが、当時は食品以外が定番だったんですかね。
歌詞中の「鷺しらず」は京都名物だった小魚の佃煮のようですが、いまではあまり見ることはないようです。
コメント
興味深い報告ありがとうございます.
いままでの分は1日で行ったでしょうか?何泊かしたのかな?
これまでの行程は
新橋~品川で1日(日帰り、他の用事のついで)
大森~国府津で1日(日帰り)
松田~米原で2日(浜松泊)
彦根~神戸で2日(大阪泊)
の合計6日です。
彦根~神戸は、米原(彦根)から京都を飛ばして大阪泊。翌大阪を出発し神戸へ、神戸から京都に戻り京都市中を巡り、京都から新幹線です。
そうでしたか.
でないと,あんなに詳しく報告できませんよね.
お疲れさまでした.
黒谷の写真見たかったです。25日が法然上人さま御命日ですので。
旧東海道は、現在名神高速なんですね。
今回行けなかった場所については、また今後京都に行った際のお楽しみとしておきます。
旧東海道本線のルートを名神高速道路の多くがなぞるように通っているようですが、線形が悪い場所はショートカットするように高速道路を造った場所もあるようです。