鉄道唱歌の旅、続きです。
前回
16番 三島は近年ひらけたる・・・
三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち 駅には此地の名をえたる 官幣大社の宮居あり
御殿場線の下土狩駅で下車です。「三島駅じゃないんかい!」って思うかもしれませんが、東海道本線が御殿場経由だった当時は、この駅が三島駅だったそうです。
現在の三島駅までは自転車で10分ほどです。
さて、歌詞の「豆相線路」というのは、現在の伊豆箱根鉄道駿豆線のことです。
鉄道唱歌が発表される2年前の1989年に、豆相鉄道は下土狩駅まで延伸開業しました。「近年ひらけたる」というくらい、当時は新路線だったのですね。
東海道本線が熱海経由となったことから、豆相鉄道(当時は駿豆鉄道)も現在の三島駅発着となっていて、下土狩駅~三島広小路駅間は廃止となっています。
「豆相線路」は、現在の下土狩駅の沼津側から左に逸れるように線路があったそうです。
17番 沼津の海に聞えたる・・・
沼津の海に聞えたる 里は牛伏我入道 春は花さく桃のころ 夏はすずしき海のそば
下土狩駅から沼津駅に到着。この駅から狩野川に左岸を海の方に向かうとあるのが「我入道」と呼ばれる地域です。
我入道は港町だったのでしょうか、細い港町っぽい道路が張り巡らされ、海には「我入道浜」と呼ばれる海岸が広がっていて、多くの人が釣りを楽しんでいました。
海は駿河湾で、対岸には大瀬崎方面が見えます。
この写真の防波堤の延長上にあるのが「牛臥山」です。
正直、今回この旅をするまでこのような場所があるのは知らなかったのですが、当時は有名だったのでしょうか。のんびりとしていい場所でした。
18番 鳥の羽音におどろきし・・・
鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟
沼津駅からは当時から変わらぬルートで東海道本線を下ります。
途中、吉原駅(1900年当時は鈴川駅)で下車し、岳南電車の吉原駅で510円で自転車を借りました。
吉原駅から10分程度で着くとあるのが「平家越」と呼ばれる場所です。ここが歌詞の中の「平家の話」の舞台、つまり「富士川の戦い」の舞台です。
今は石碑と案内板がある程度で、特にこれといったものはありませんでした。現在の富士川は流路が変わって、ここから約5km離れた場所を流れています。
「鳥の羽音におどろきし」は富士川の戦いに伝わる逸話です。詳しくは調べてください。
吉原駅と平家越の間には「左富士」と呼ばれる場所があります。
東海道を下る際、ずっと右に見えていた富士山がここでは左に見えるということで景勝地となったそうです。
まぁ・・・曇ってて富士山は見えなかったんですけど。
吉原駅から東海道本線を下り、富士駅(1900年当時は未開業)を過ぎて少し行くと富士川を横断します。
19番 世に名も高き興津鯛・・・
世に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺 清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山
さて、歌詞に登場する「興津鯛」。「世に名も高き」と歌われていますが・・・すみません知りませんでした。調べてみると、アマダイを一夜干しにしたもので、この地の名産だったとか。
興津駅から線路沿いに清水方面へ15分ほど歩くと清見寺に到着します。東海道本線が境内を横切っているようです。
徳川家康や朝鮮通信使とも関係があるとか云々……時間があるときにじっくり見て見たいものです。
清見寺前より西を向くと、清水の港を経て、左に久能山が見えました。
20番 三保の松原 田子の浦・・・
三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とは思ふらん
清水駅でバスに乗り換え、世界遺産の三保の松原へ。富士山は見えませんでした。
撮影日:2021年10月17日 記載内容は執筆日または撮影時のものです。変更があった場合も追記できていない場合があります。
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