稲城市内では南武線の連続立体交差事業が行われ、既に完了しています。今では連続で高架になっています。
これらは1989年に当時の建設省の事業採択を受け、1992年に都市計画決定。2005年に1期区間が立体化。2013年に2期区間が立体化し、2016年に事業が完了しました。
今回、古い都市計画図をあさっていると、高架化の計画ができる前の図面を見つけ、道路計画が興味深かったので記事にします。
矢野口の道路計画
都市計画図などを参考に作成。
現在の矢野口の都市計画道路はこのように決定されています。
南武線は高架化しているので、都市計画道路と鉄道はもちろん立体交差です。
ただまぁ、立体交差で計画されている矢野口交差点は平面交差のままです。用地は取ってあるみたいですけどね。
昭和60年時点での計画図はこんな感じ。川崎市内は書いてありません。
地図に書き出してみました。交差点の円形の部分が特徴的です。
広路1号(鶴川街道)と南武線は立体交差の計画だったようで、道路が高架で地平の南武線を越える計画だったようです。
南武線を越える高架はそのまま多摩1・3・1号を立体で越えています。その際、やはり多摩1・3・1号との接続も考慮する必要があったことから円形の部分ができたようです。
これら道路の計画は1991年10月30日に都市計画変更され、現在のものになっています。南武線の連続立体交差に関連する都市計画決定は1992年1月6日のことです。
矢野口駅周辺ではこのほか土地区画整理事業が施行され、街並みが大きく変化しました。今でも施行中です。
ちなみに都市計画道路の番号の付け方はいまとは異なります。都内では一部を除き1989年に一斉に現在の付け方に変更されました。
南多摩駅周辺の道路計画
南多摩駅周辺の現在の道路計画はこんな感じ。
ここの昔の計画も、当時平面だった南武線と道路の立体交差を考える必要があったため、多摩2・1・2号(府中街道)が高架となっています。
この際、多摩2・2・2号とは平面交差せず、インターチェンジのランプのように高架側道が接続する形となっていたようです。
現在は平面交差で完成していて、駅前広場も最近完成しましたね。
南多摩駅北東側で、現:多摩3・4・11号がゆるやかなS字カーブになっている歴史的理由が見えてきますね。
このほか
このほか、稲城長沼駅周辺や、稲城大橋通りでも現在とは違った計画が見えますね。
稲城大橋方面の現:多摩3・4・13号が稲城大橋まで延伸決定したのは1990年8月21日のこと。
稲城市の南武線周辺では平成初期に多くのことが変更されていますね。すべてがそうではないとは思いますが、鉄道の高架化は街づくりの大きな起爆剤になるのかなと思ったりします。
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